茶漬けの歴史とは? わかりやすく解説

茶漬けの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 17:58 UTC 版)

茶漬け」の記事における「茶漬けの歴史」の解説

茶漬け始まりは、番茶煎茶普及し庶民嗜好品として定着した江戸時代中期以降と言われている。煎茶には若干グルタミン酸ナトリウム(うまみ成分)が含まれており、煎茶独特の芳香相まって白湯掛ける湯漬けより美味である。ただし、庶民においては番茶をかけるのが一般的であった今日茶漬け直接始祖は、当時商家奉公していた使用人奉公人)らが、その仕事合間食事極めて迅速に済ませ為にとった食事法であると言われている。当時奉公人らは一日の殆どを労働充てており、また食事時間上役管理されていたため、自然とこのような食事形態発生した奉公先の質素な食事の中で漬け物は、奉公人にとって自由に摂れるほぼ唯一の副菜(おかず)であり、巨大なサイズの大鉢などに山のように盛られることが多かったそのこと茶漬けという食形態定着大い関係した推測される未だ現在のように炊き上がった飯を保温する技術無かったこともあり、冷えてしまった飯を美味しく食べ手段として、また手早く食事済ませ手段として、湯漬けなどと同様に茶漬けはその利便性から非常に重宝され普及したまた、元禄時代の頃より茶漬けを出す店として「茶漬屋」も出現し庶民ファストフードとして広く親しまれた。江戸時代後期刊行され江戸名所図会に「看板八八(はつは)茶漬は人皆の八百八町しれる江戸桝」、「客こんで出す廣ぶた鉢合せ八八茶漬もうれる江戸桝」がみえ、江戸で六十四文をもじった「八八」が茶漬屋看板記され通称八八茶漬呼ばれ繁盛したことが窺える。ただし、茶漬屋簡単な食事をする場所という位置付けであって茶漬けだけが出されていたわけではない横浜美術館常設展示されている開国初期江戸時代末期)の写真のうち三島宿写したものは、街道茶漬屋ひしめいていた様子記録されている。この写真の中の茶漬け屋店員、客、通行人全員驚いた顔でカメラ目線写っている。これは開国間もない明治維新以前安政年間で、大きな写真機抱えた外国人撮影者がよほど珍しかったであろう。ただしこの時の止まったような印象から、茶漬け屋軒先に客が腰掛けながらこちらを一瞥する様子や、お盆持って立ち止まる女主人、店によって暖簾も「茶漬屋」「ちゃづけ」と様々な表記見られるなど、当時茶漬け屋様相もまた窺い知ることが出来る。

※この「茶漬けの歴史」の解説は、「茶漬け」の解説の一部です。
「茶漬けの歴史」を含む「茶漬け」の記事については、「茶漬け」の概要を参照ください。

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