英国王室とのその後の確執
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「ヘンリー (サセックス公)」の記事における「英国王室とのその後の確執」の解説
2021年3月10日、王室は声明を発表した。「ハリーとメーガンにとってどれだけ困難な数年間だったかを知り家族はみな悲しんでいる」とし、人種差別問題などに関する懸念を表明したうえで「記憶と違う点はあるかもしれないが、深刻に受け止め、家族で対処していく」としている。 同月11日、公務でキャサリン妃とロンドン市内の学校を訪れていたウィリアム王子はマスコミの質問に「(番組放送後、ヘンリーと)話をしていないが、いずれする」「私たちは人種差別的な家族ではない」と話した。王室の上級メンバーがこのように話すことは前例のないことであるという。また同日、王室の関係筋からの情報として、チャールズ皇太子は英国の多様性を誇りに思っており、またウィリアム王子はキャサリン妃を不必要に引きずり込まれたことで激怒していると報道された。チャールズ皇太子は絶望していると伝えられている。 同年4月9日、エジンバラ公爵フィリップ王配の薨去を受け、アーキウェル財団の公式サイト上で弔意をあらわした。メーガンは第2子妊娠中のため、単身で帰国し、17日の葬儀に参列している。コロナ禍中につきアメリカからの渡航者は10日間の自己隔離が必要であったが、政府が定めた例外規則により参列が可能であったという。葬儀終了後は、自己隔離先のフロッグモア・コテージに戻ったと伝えられている。20日にヘンリーはロンドンを発ち、アメリカに戻った。 同年7月1日、母親のダイアナ元妃の生誕60周年に合わせ、ケンジントン宮殿の庭園で元妃の銅像の除幕式が行われた。コロナ禍でもあり、除幕式は元妃の弟・スペンサー伯爵らごく少数の出席のもとに簡素に行われ、報道関係者の参加も制限された。報道機関の制限にはヘンリーの強い意向によるものであったと報じられている。兄のウィリアム王子と共同名義で「母の60歳の誕生日であったはずのきょう、私たちは母の愛と強さ、人格を追憶している。母はこうした資質により、世界中の善に向けた力となり、数えきれない人々の生活を向上させた」「私たちは毎日、母が今も生きていればよいと思っており、この像が母の人生と遺産を象徴するものとして永遠に受け止められることを願う」との談話を出している。 2022年3月12日、フィリップ王配の追悼式典に出席しないと発表し、非難を浴びた。王室離脱のため警察による警備の要求を却下されたことで、英国王室とのいさかいが続いているという。 同年6月1日、エリザベス2世の在位70周年を記念するプラチナ・ジュビリーに参加するため、ヘンリー夫妻は2人の子どもたちと共に英国に帰国。その48時間後、長女リリベットがウインザー城でエリザベス2世とプライベートのかたちで面会した。 エリザベス女王は夫妻に対して「人目を引かないように」という条件を出しており、現王室の公務を行っているメンバーとは一線を引く扱いとなった。同月2日の「トゥルーピング・ザ・カラー」のパレードやバッキンガム宮殿のバルコニーに姿を現すことはなかった。同月3日、セントポール大聖堂で行われた女王の治世に感謝する礼拝で、およそ2年ぶりに王室のイベントに出席。大聖堂の階段では歓声に混ざってブーイングがあったという。
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