肥後六花
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肥後六花(ひごろっか[1])は、肥後椿(ひごつばき)、肥後芍薬(ひごしゃくやく)、肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)、肥後朝顔(ひごあさがお)、肥後菊(ひごぎく)、肥後山茶花(ひごさざんか)の6種の花の総称[2]。
- ^ 『熊本県大百科事典』、686頁。
- ^ a b c d e f 『図説熊本県の歴史』、147頁。
- ^ 『色分け花図鑑 花菖蒲』、94頁。
- ^ a b 『東肥花譜』、3-4頁。
- ^ 『肥後六花』、5頁。
- ^ a b c d e f g 『肥後銘花集』、189頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『肥後六花』、21頁。
- ^ a b c d e f 『肥後銘花集』、186頁。
- ^ a b c d e f 『東肥花譜』、26頁。
- ^ a b c 『肥後学講座』、43頁。
- ^ a b c d e f g 『東肥花譜』、25頁。
- ^ 『肥後学講座』、44頁。
- ^ 『東肥花譜』、24頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 『肥後銘花集』、187頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『肥後六花』、39頁。
- ^ a b c d e f g h 『東肥花譜』、32頁。
- ^ a b c 『肥後学講座』、45頁。
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- ^ 『東肥花譜』、31-32頁。
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- ^ a b c d 『肥後六花』、55頁。
- ^ a b 『東肥花譜』、45頁。
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- ^ 『肥後学講座』、48-49頁。
- ^ a b 『肥後六花』、56頁。
- ^ 『東肥花譜』、40-41頁。
- ^ a b 『肥後学講座』、49頁。
- ^ a b 『肥後学講座』、50頁。
- ^ 『東肥花譜』、43頁。
- ^ 『色分け花図鑑 花菖蒲』、13頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『肥後六花』、71頁。
- ^ a b 『肥後学講座』、47頁。
- ^ 『色分け花図鑑 朝顔』、84頁。
- ^ a b c 『肥後学講座』、46頁。
- ^ a b 『色分け花図鑑 朝顔』、90頁。
- ^ a b c 『肥後六花』、72頁。
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- ^ a b c d 『肥後学講座』、55頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『肥後六花』、85頁。
- ^ 『東肥花譜』、57-58頁。
- ^ a b c d e f g 『肥後銘花集』、188頁。
- ^ 『肥後学講座』、56頁。
- ^ a b c d e 『肥後六花』、87頁。
- ^ 『肥後銘花集』、187-188頁。
- ^ a b c 『東肥花譜』、58頁。
- ^ a b 『肥後学講座』、57頁。
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- ^ 『肥後銘花集』、119頁。
- ^ a b c d 『東肥花譜』、56頁。
- ^ 『東肥花譜』、59頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『肥後六花』、101頁。
- ^ a b c d e f 『東肥花譜』、66頁。
- ^ a b c d e 『肥後学講座』、48頁。
- ^ 『東肥花譜』、67頁。
肥後朝顔(ひごあさがお)
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「肥後六花」の記事における「肥後朝顔(ひごあさがお)」の解説
「アサガオ」も参照 中輪咲きで、花径は10-15センチメートル、6曜から9曜の合弁漏斗形。花色は紅、桃、青、白、海老茶、紫などがあるが、いずれも純色で覆輪はない。花筒は純白で濁りがない。ほかの肥後六花は花芯の形を重視するが、朝顔では花筒の中にあって見えないため、花筒が純白であることを重視する。葉は、白斑が入った「青斑入り」(あおふいり)、葉先が丸みを帯びる「洲浜葉」(すはまば)である。花期は7月から9月。 肥後朝顔では、小鉢本蔓作り(行儀作り)という独特の仕立て方をする。本焼の12cm小鉢に植え、本蔓を摘芯せずに鉢の3倍ほどの高さに止め、かつ第一花を草丈の4分の1の位置に咲かせる。このような、鉢と茎葉と花の釣りあい、品位を重視する。 朝顔の栽培は江戸時代後期に流行したがその後廃れ、明治時代に入って再び盛んになった。熊本では1899年(明治32年)に凉花会が結成され、種子を門外不出として育成・保存に努めた。第二次世界大戦や1953年(昭和28年)の水害ののち、徳永据子が守り続けていた種子から再興した。保存団体は肥後朝顔凉花会(熊本市立博物館内)で、会員約250名。
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