絹本著色約翁徳倹像とは? わかりやすく解説

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絹本著色約翁徳倹像

主名称: 絹本著色約翁徳倹像
指定番号 1335
枝番 00
指定年月日 1955.06.22(昭和30.06.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書 自賛がある
員数 1幅
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文: 鎌倉時代作品

絹本著色約翁徳倹像

主名称: 絹本著色約翁徳倹像
指定番号 1862
枝番 00
指定年月日 1986.06.06(昭和61.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書 文保三年自賛がある
員数 1幅
時代区分 鎌倉
年代 1319
検索年代
解説文:  約翁徳倹鎌倉路傍の棄子であったという。ある名族拾われ育てられ十三歳時に建長寺蘭溪道隆の室に入って得度十六歳で落飾した。文永年間一二六四一二七四)に入宋し、寂窓有照、石帆惟行、東叟仲穎、虚舟普度蔵叟善珍等の諸師に歴参し、その器量の高さを称されている。帰国の後は師の蘭溪道隆に随侍していたが、葦航道然が建長寺住持となるとその下で首座となり、長勝寺開創与ってその開山となり、以後東勝寺禅興寺浄妙寺など鎌倉の諸寺の住職勤め徳治元年には建仁寺十世となっている。延慶三年には建長寺十四世となったが、在任中に火災の厄に遭い再建の策を講じてから責を負って退いた。しかし、その名声消えず後宇多上皇一山一寧寂し空席となった南禅寺住持懇請して師を著かしめた。文保二年(一三一八)に入院し時に上皇その場臨御した。上皇信任厚く生前仏燈大光国師の号を賜っている。元応二年(一三二〇)、五月十九日臨終の床にあった時、大衆見守っていると朝食に行くように勧め午後、衣を整えて座し遺偈書して示寂したという。寿七十六歳。
 図は曲〓坐し、手に払子を把って威儀を正した姿である。図上に自賛があり、文保三年七十五歳の時の像と知られる南禅寺入院して一年後最晩年の姿ということになる。容貌肌色厚手彩色し、皺を墨線で描き老貌を確実に把えている。鎌倉時代肖像画写実力をよく示している。大衣は薄い地で金泥唐花と卍形の模様施し、袈作は褐色地で、田相部に総花亀甲文、條に花文を施している。金襴というより印金表していると見られるが、鎌倉時代末の禅僧風俗好尚伝えている。
 賛は圓教大師の請によって著けている。禅宗では大師比丘尼尊号である。その人については知るところが無いが、このような立派な画像を画かせていることから、資財恵まれた身分のある檀越であった思われるちなみに永源寺約翁徳倹弟子である寂室元光開山とする寺である。縁に依ってこの図が施入され、今日いたったものであろう
(賛)
 虚舟横断
 浮萍幾隨便風
 行年七十有五
 東西渾無定蹤
 而今又去綢中
 夫是喚作老不知
 羞無轉智之約翁
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絵画:  絹本著色笠置曼荼羅図  絹本著色策彦和尚像  絹本著色約翁徳倹像  絹本著色約翁徳倹像  絹本著色紅玻璃阿弥陀像  絹本著色紅玻璃阿弥陀像  絹本著色紅玻璃阿弥陀像



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