経済的な動機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 05:17 UTC 版)
多くのカーペットバッガーはプランテーションを購入するか賃借して富裕な土地所有者となり、労働力として解放された人々を雇用した実業家であった。その大半はこの将来性のある新しい未開拓地に蓄えを投資したがる元北軍兵士や、「南部で綿花を栽培すれば驚く程の利益を生む」という報道機関の報告書によって南部に惹き付けられた文民であった。投資家達は暖かく迎え入れられた。しかし、歴史家のフォーナーは「しかし、利益の追求に結びつけられたのは改革の精神、党派抗争を和解させる使者としての使命感、および南部の「経済的再生」であった。南部人、黒人と白人は経済的な独創性や自己鍛錬に欠けている者と見ることに慣れており、「北部の資本とエネルギー」のみが「地域に自由労働の仕組みの恩恵を」もたらし得ると信じた」とも述べた。 カーペットバッガーの出身は教育が行き届いた中流階級である傾向があった。弁護士、実業家、新聞編集者および他の北部社会を支える職業の者がいた。大多数(レコンストラクションの時代にアメリカ合衆国議会議員を務めた60人中の52人を含み)は北軍の退役軍人であった。 指導的な「黒人カーペットバッガー」は資本家と労働者の利益を同質であると信じ、解放された人々には「人生の競争における公正な機会」以上のものが与えられると信じた。 多くのカーペットバッガーとスキャラワグは、南部の経済と社会を底上げする近代化構想を共有し、あるものは非効率な南部プランテーション制度を鉄道、工場およびより効率的な農場経営に置き換えようというものだった。彼らは活発に公的学校を奨励し多くのカレッジや大学を創設した。特に州政府の助けもあって、南部鉄道を支配することに成功した。1870年、北部人は南部の鉄道の21%(営業距離)を支配し、鉄道会社役員の19%はカーペットバッガーであった。1890年までに北部人は営業距離で88%を支配し、役員の47%がカーペットバッガーとなった。
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