紙本金地著色関ヶ原合戦図〈/八曲屏風〉
主名称: | 紙本金地著色関ヶ原合戦図〈/八曲屏風〉 |
指定番号: | 1943 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1996.06.27(平成8.06.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 一双 |
時代区分: | 江戸 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 慶長五年(一六〇〇)九月十四、十五日にわたって戦われた関ヶ原合戦を、さほど時期が隔たらないころに描いた唯一の絵画である。同時に合戦図屏風として最も大型でかつ、初期の作例でもある。向かって右隻上辺には揖斐川を渡り本陣とした赤坂に向かう家康軍、右端には石田三成が居る大垣城、左半に岡山を中心とした東軍の陣営、下辺に十四日の杭瀬川での小競り合いおよび西軍の陣営が描かれている。向かって左隻には合戦当日の光景が繰り広げられており、右方より西軍に攻めかかる東軍が描かれ石田三成、島津家久、小西行長の陣所が燃えあがる。中程下端に松尾山から西軍を目がけて鉄砲を撃ちかける小早川秀秋勢が描かれるが、画面の大半は伊吹山を敗走する西軍方で埋めつくされている。長く津軽家に伝来し、『津軽藩旧記』によれば徳川家康の姪で養女となった満天姫が慶長十七年六月に津軽信枚に再嫁するにあたって輿入れ道具として持参したとされる。なお、同記には二双のうちの一双を頂戴したとある。「正實寺山」の貼り紙は今は失われている佐和山城攻めを描いた場面が存在していたことを証するものとされる。満天姫は最初福島政則の養子、正之に嫁いだが、正之が慶長十二年に乱心を理由に殺害されたため離縁されていた。両隻にわたって黒地に白の山路模様の旗を掲げた福島政則が目立つように描かれているので、とくにその部分を選んだとも考えられる。画風は土佐派風で人物の姿態に画一的なところもあるが表情に生彩がある。八曲という大型の屏風に兵糧を運ぶところをはじめとして野営の様子が子細に描かれており、当時の合戦の実態を知るうえで重要である。 |
絵画: | 紙本金地著色豊国祭図 紙本金地著色遊楽図 紙本金地著色遊楽図 紙本金地著色関ヶ原合戦図 紙本金地著色関屋図 紙本金地著色阿国歌舞伎図 紙本金地著色雪汀水禽図 |
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