箱田の獅子舞概要分詞の理由とは? わかりやすく解説

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箱田の獅子舞・概要・分詞の理由

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 04:12 UTC 版)

木曾三柱神社」の記事における「箱田の獅子舞・概要・分詞の理由」の解説

保存会箱田獅子舞保存会祭の行事名称・公開期日公開場所木曽三柱神社春の祭典4月2日曜日 木曽三柱神社 木曽三柱神社付属する一人立ち獅子である。主として青年団の手によって演じられる由緒幕末から明治の頃といわれているが、前橋市川原町から伝えられ始まったという。地元木曽神社の祭礼演じられ翌日、神礼などを持参して川原部落訪れたものともいわれている。 木曽三柱神社が下箱田の旧県社木曽神社より分かれたのは安政年間のこととなっている。なぜ分かれたかについて、神主父子内紛おこしたことによるものと云われている。父は高梨伊賀守正胤といい、前橋市川原町新井家出であったが、高梨家養子となりその子もまた養子だったので確執があり、父の正胤が分立企てたそのときこの獅子舞新井氏の手でこの移されたらしい(今井善一郎氏説)。 その年ほどあとに下箱田大火があった際、ちょうど獅子舞最中だったので、一時獅子舞避けて中止したことがあった。大正13年それまで神社祭典には下南室の神楽奉納していたのを、獅子舞として復活した。しかし、長い間中断していたので大分舞の型も忘れられたものをなんとか復興した。したがって、もとの型からみるとかなり崩れているといわれている。 獅子舞目的は、悪魔払いのためと云われている。一人立ち獅子として特に注目されるものではないが獅子のうち黒ウルシカシラを端(はな)といい、赤ウルシカシラを中(なか)、青ウルシを終(しまい)と呼んでいるのはめずらしい。一人立ち獅子になれるのは、以前は家の長男であったが、のちにその決めなくなった。 おねりは4月14日宵祭りのとき神社前庭演じられるが、当日15日順序は、まず神社一部舞いそのあと大石田松井氏の庭で舞われる次いで上「かさ」の今井太郎氏の庭で舞う。この家は獅子舞再興功労者であり今井兼平の子孫だからということである。次に中央の山口氏方の辻で舞い前原演じ神主の家に寄り井出浦の富岡泰三郎氏の庭、深道辻藤井氏の下の辻で舞い神社に戻る。以上が以前のおねりの順序である(現存多少異なっている)。 囃子方は笛と道太鼓である。おねりのほかは、笛と獅子の腰太鼓囃子として舞われる。なお昔は獅子頭かぶれる家は相当の家柄でないと許されなかった。また獅子舞実施総意によってきめられ、これを拒否すると「から出ろ」などといわれた。新しく入ってきたよそ者獅子頭はかぶらせなかったという。 演目は「トヒヒ」「オカザキ」「トントチャ」「ジャジャジャン」「コロロ」など。昭和45年6月27日渋川市重要無形民俗文化財指定

※この「箱田の獅子舞・概要・分詞の理由」の解説は、「木曾三柱神社」の解説の一部です。
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