筒井康隆と音楽・映画・戯曲等
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筒井自身と小説以外のエンターテイメントとのかかわりに関する略歴は、以下のようになっている。 1941年 - 7歳のころからエノケンらの映画に夢中になる。「エノケンになりたい」「喜劇役者になりたい」と思っていた。 1950年 - 高校ではマルクスブラザースの映画に熱中。家の蔵書や反物を売って映画代を捻出していた。演劇部に所属、のちに部長になる。 1953年 - 関西芸術アカデミーに入学後、同志社大学の美学・芸術学科を専攻。19歳のころ喜劇役者になりたいという望みが挫折。 1954年 - 劇団青猫座に所属。主役として舞台に立ったこともある。 1955年 - 日活ニューフェイスの2次選考まで進むが落ちる。 1965年 - アニメ『スーパージェッター』のシナリオ5話分を手掛ける。 1969年 - 銀座にて『幻想の未来』が点の会により上演される。 1972年 - NHKテレビで『時をかける少女』を原作とした「タイム・トラベラー」が放送される。 1973年 - 戯曲『スタア』刊行。 1974年 - 舛田利夫監督による映画『俺の血は他人の血』が公開される。 1976年 - 山下洋輔と『家』をレコード化。 1979年 - 戯曲集『12人の浮かれる男』刊行。同年NHKテレビで連続ドラマ『七瀬ふたたび』放送。朝日テレビ『部長刑事 もうひとつの動機』の脚本を担当。 1980年 - 『美藝公』の連載開始。 1981年 - 1月『ジャズ大名』を発表したころにクラリネットの演奏に熱中し始める。同年2月『美藝公』刊行。
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