筒井家相続まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 08:32 UTC 版)
永禄5年(1562年)5月5日、慈明寺順国(筒井順国)の次男として生まれる。一族で本家筋の筒井順慶(従兄、母方の叔父でもある)に子が無かったため、順慶の養嗣子となった。最初、順慶の養子候補としては番条五郎が検討されており、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の承諾も得ていたが、五郎が謝絶したため定次が養子となった。 天正6年(1578年)3月、織田信長の14番目の息女を娶る。名は秀子、または藤、伊賀上野に移って後に、上野御方と称されたという(『筒井諸記』『筒井補系』『増補筒井家記』) 。定次没後は日栄と号した(『系図纂要』織田系図)。
※この「筒井家相続まで」の解説は、「筒井定次」の解説の一部です。
「筒井家相続まで」を含む「筒井定次」の記事については、「筒井定次」の概要を参照ください。
- 筒井家相続までのページへのリンク