慈明寺順国とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 慈明寺順国の意味・解説 

慈明寺順国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/20 03:05 UTC 版)

 
慈明寺 順国
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
別名 左門(通称[1]
氏族 筒井氏、慈明寺氏
父母 父:筒井順興
兄弟 順昭順政順国福住順弘
筒井順昭
定次
テンプレートを表示

慈明寺 順国(じみょうじ じゅんこく[2]/としくに[3])は、戦国時代武将筒井順慶の叔父で、筒井定次の実父。

略歴

筒井順興の子として生まれ、慈明寺氏の養子になったという(『和州諸将軍伝』)[3][4]大和国慈明寺城(奈良県橿原市)の城主で[5]、兄・筒井順昭の死後、他の一族らとともに甥の順慶を支えたとされる[6]

順国は順昭の娘(順慶の姉)を妻に迎え、二男として定次を儲けたとされ、定次は元亀3年(1572年)1月11日に順慶の養子になったといわれる(『断家譜』『寛政重修諸家譜』)[7][8][注釈 1]天正12年(1584年)に順慶が死去すると定次がその跡を継いだ[9]

天正13年(1585年)に定次が伊賀転封を命じられた際、順国は大和に残り、羽柴秀長に仕えたという[10][注釈 2]。その後の消息は不明[10]

脚注

注釈

  1. ^ 定次に関するこれらのことは、後世の編纂物に記されたものであることや、定次が家督継承直前まで小泉姓(小泉四郎)を名乗っていたことから、真偽不明とされる[2]
  2. ^ 『和州諸将軍伝』では、この時秀長に仕えたのは慈明寺左門順之(としゆき)とされる(新日本古典籍総合データベース、筑波大学附属図書館所蔵、248コマ)。

出典

  1. ^ 籔 1985, p. 71; 朝倉 1986, p. 205; 金松 2019, p. 84.
  2. ^ a b 金松 2019, p. 84.
  3. ^ a b 新日本古典籍総合データベース『和州諸将軍伝』(筑波大学附属図書館所蔵、54コマ)。
  4. ^ 籔 1985, p. 37; 朝倉 1986, pp. 204–205.
  5. ^ 籔 1985, p. 71.
  6. ^ 籔 1985, pp. 47, 90.
  7. ^ 寛政重脩諸家譜 第6輯』國民圖書、1923年、700頁。
  8. ^ 籔 1985, p. 104; 朝倉 1986, p. 208; 金松 2019, p. 84.
  9. ^ 籔 1985, p. 197; 朝倉 1986, p. 208; 金松 2019, p. 95.
  10. ^ a b 籔 1985, p. 203.

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  慈明寺順国のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「慈明寺順国」の関連用語

慈明寺順国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



慈明寺順国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの慈明寺順国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS