第47回衆院選前後の動き
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「維新の党」の記事における「第47回衆院選前後の動き」の解説
10月27日には民主党と維新の党の両国会対策委員長が会談し、衆院予算委員会にて両党であらかじめ質問のすみ分けを行った上で首相を追及することを確認した。また、次期衆院選に向けた民主党との選挙協力については、愛知12区や山梨1区などで候補者の一本化に成功し、30あった両党の競合区を21にまで減らした。 2014年12月、第47回衆議院議員総選挙が執行される。合併を巡る維新・みんな双方の党内対立や政党名変更から維新・橋下人気に陰りが出たとみられており、マスコミなどの事前予想では現有42議席からの大幅減は不可避、30台維持で大善戦、との見方であった。投開票前日に、橋下は早々と敗北を認めるという異例の演説を行う。「もうみなさん、明日、自民党、公明党、歴史的な大勝利となります。なるんです。もう維新の党、はっきり言って負けます」「2014年12月14日、午後8時。開票が始まった瞬間、自民と公明が320を超える議席を獲って歴史的な勝利を収めます」「いやもう、参りましたよ」「勝ち目ありません!」。また「維新は皆さんを冷めさせてしまった」と頭をさげたが、一方でその後続けて「負けを認めたうえでね、このまま無くなっていくなんて、そんなヤワな根性してません。今まで何度も踏みつぶされても、ここまでやってきた」「もう一度(党内を)引き締めます。立て直さしてください。もう一回、チャンスをください。維新を立ち上げた時の気持ちでやります。ただ完全に負けたら次がなくなる。せめて10人でも20人でも維新の議員を残してください」とも述べ、次回選挙までに党勢拡大を図る旨の発言をした。選挙の結果、維新の党は衆議院で従来の42議席から1議席減の41議席と事前情勢調査より善戦し、第3党に踏みとどまる形となった。一方橋下は54議席を獲得した前回衆院選と比べ勢いを欠いている情勢について、「維新の党に対する信任、党代表の僕への信任がなかったということだ」と述べた。 この頃、維新の党是であった大阪都構想が佳境を迎えていた。23日、橋下が「大阪都構想の実現に専念したい」として翌年春の統一地方選挙まで「いったん」共同代表を辞任することを表明、松井一郎幹事長も橋下に同調して辞任した。これにともない、江田が単独の代表に、松野頼久国会議員団長が幹事長に就任。橋下は党の最高顧問、松井は党の顧問に就任したことが維新の党から発表された。一方で、橋下自身は同日の執行役員会で最高顧問就任を断っており、翌24日の大阪市役所における登庁記者会見においても「了承した覚えはない。一番嫌な肩書。死んでも嫌」と述べたが、後に就任を受け入れている。 統一地方選挙で党勢を拡大して迎えた2015年5月17日、大阪都構想の住民投票が行われ、都構想は反対多数で否決された。橋下は大阪市長の任期終了後の政治家引退を表明した。同時に江田も代表を退くことを表明した。5月19日、幹事長の松野が代表に選ばれた。
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