第21回参議院議員選挙前後の動き
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「国民新党」の記事における「第21回参議院議員選挙前後の動き」の解説
民主党や社民党との連携を深め、2007年統一地方選挙や、参議院福島県・沖縄県選挙区補欠選挙、2007年第21回参議院議員通常選挙、では民主党と双方で候補を推薦しあった。さらに、衆議院で、沖縄の地域政党そうぞうと統一会派(院内会派)「国民新党・そうぞう・無所属の会」を結成し、参院選で自・公が過半数割れした場合のキャスティング・ボートを握ろうとしていた。そのため、党首の綿貫は、安倍内閣発足時に安倍が主張する政策を他の野党が一斉に批判したにも関わらず、「お手並み拝見ですな」と発言したり、2007年4月に安倍が靖国神社に総理大臣名で供物を送った際にも強く批判する他の野党と対して、「新しい参拝方式だ。良いと思う」と評価、また、2007年6月の民主党パーティーで、わざわざ挨拶に立ちながら「全く緊張感がない」と民主党を批判した。 第21回参議院選挙に向け、国民新党は札幌市中央区に北海道支部を開設し、伊東秀子元衆院議員を比例区の候補者として擁立した。また、衆議院で統一会派を組むそうぞうと沖縄県内に強い布陣を敷いている同党との連携により比例票を伸ばすことを期待して選挙協力を進め、5月に比例区に統一名簿で臨むことで合意。そうぞう代表代行の沖縄県議会議員・呉屋宏を比例区に擁立した。6月28日には、ペルーの元大統領で二重国籍者のアルベルト・フジモリを比例区で擁立すると発表し話題となった。ただし、フジモリは国民新党側が期待していた東京都選挙区からの立候補を固辞して比例区からの出馬となり、さらにチリで刑事訴追されて軟禁中のため日本国内での選挙活動ができないという大きな制約も付けられた。 国民新党は、選挙が迫った当初は自民党との連携にも含みを持たせていたものの安倍が郵政民営化の見直しを否定したこと、安倍内閣のスキャンダルが相次いだことなどから野党第一党である民主党との協力に傾斜していった。特に、公示前日の7月11日になって綿貫代表の地元である富山県選挙区で民主党・社民党が擁立・推薦した無所属候補である森田高の推薦に踏み切ったことは野党路線へのシフトを印象付けた。また、竹下王国・青木王国とも呼ばれる島根県選挙区では、亀井久興の長女である亀井亜紀子が党公認として立候補し、民主党推薦・社民党島根県連支持を取り付けたことで、野党間選挙協力の象徴的な選挙区となった。結局、自党候補を立てない選挙区では、ほとんどの選挙区で民主党または民主党系候補を推薦。逆に島根の亀井亜紀子と群馬県選挙区の福田晃治は国民新党の公認候補に民主党が推薦をして支援する形になった。一方、東京や大阪などの大都市部では積極的に独自候補の擁立を行った。 結果、島根の亀井亜紀子は自民党の現職・景山俊太郎を抑えて当選し、国民新党は選挙区で議席を獲得した。島根県内に広がる分厚い自民党支持層を切り崩しての当選は大きく注目された。しかし、群馬の福田は自民党現職の山本一太に大差で敗れ、前職では唯一の立候補者だった(比例区の田村秀昭は不出馬・政界引退)大分県選挙区の後藤博子は野党系候補の乱立の中で沈んだ。また大都市部の同党公認候補者は、大阪府選挙区の白石純子が社民党候補を上回る約16万票(定数3で5位)、フジモリに代わって直前に東京都選挙区から立候補した中村慶一郎が約15万票(定数5で9位)を獲得したが、他の候補も含めて全員が法定得票数に届かずに落選した。 一方、郵政選挙の落選組の元国会議員を中心に候補を擁立した比例区では126万9209票(得票率2.15%)を得たが、獲得議席数は1議席と事前の予想より伸び悩んだ。元郵政大臣で前衆院議員の自見庄三郎が当選したが、他の元国会議員(青山丘、津島恭一、小林興起、宮本一三、熊代昭彦、伊東秀子、坪井一宇)やフジモリ、呉屋などは落選した。 この選挙では民主党が大勝して参議院で単独過半数に迫り、自民党と公明党の与党側は過半数を大きく割り込んだ。そのためキャスティング・ボートは握れなかったが、国民新党にとっては善戦したといえる。しかし、民主党は参議院で単独過半数を得ておらず、国民新・社民両党の協力なしに単独で与党と戦うことは難しい状態であった。民主党は大勝したものの国民新党の存在感を無視することはできないでいた(参議院で民主党のアフガニスタン復興支援特別措置法案が国民新党の賛成によって僅差で可決された)。
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