第14、第15の哨戒 1944年8月 - 1945年4月
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「スレッシャー (潜水艦)」の記事における「第14、第15の哨戒 1944年8月 - 1945年4月」の解説
8月23日、スレッシャーは14回目の哨戒で東シナ海および黄海方面に向かった。8月29日には艦は激浪に叩かれたが乗り切った。9月10日には九州近海で敷設艦と2隻の駆潜艇を発見したが、小さな目標を探知したのでその場を離脱した。9月13日、スレッシャーは貨物船と大型タンカーを発見し魚雷を4本発射したが、距離が遠く攻撃は失敗。哨戒機の反撃を招いてしまったが、スレッシャーに損害はなかった。9月18日15時31分ごろ、スレッシャーは北緯35度02分 東経124度24分 / 北緯35.033度 東経124.400度 / 35.033; 124.400の地点で水平線上にマストを発見。19時23分には相手の姿を確認するとともに護衛艦をレーダーで探知。21時ごろに攻撃態勢に入り、相手である陸軍船暁空丸(拿捕船、6,854トン)が右に曲がったのを見て魚雷を4本発射。しかし、進路予測は外れて魚雷は命中しなかった。スレッシャーは距離1,100メートルまで近寄って、さらに4本発射。2本目の魚雷が命中し、暁空丸は急速に沈没していった。スレッシャーは夕張型軽巡洋艦と思われる艦艇を含む3隻の艦艇を察知したが、相手は高速で戦場を去った。スレッシャーは黄海の奥深く、漁船と出会いつつ満州沿岸に向かい、9月25日9時44分に貨物船日成丸(大洋興業、1,468トン)を発見。スレッシャーは13時15分に浮上して逃げる日成丸に向かっていったが、水上機を見つけたので潜航。潜航後、対潜爆弾1発が近くで爆発した。16時過ぎまで潜航したあと浮上し、18時15分ごろに北緯37度00分 東経124度00分 / 北緯37.000度 東経124.000度 / 37.000; 124.000の地点で再度日成丸を発見。月をバックにして魚雷を2本発射。1本が日成丸の急所に命中して1分以内に沈没していった。翌9月26日、スレッシャーは北緯37度45分 東経123度37分 / 北緯37.750度 東経123.617度 / 37.750; 123.617の地点で5,000トン級タンカー、すなわち貨物船広悦丸(広海汽船、873トン)を発見。スレッシャーは魚雷を4本発射、魚雷が命中すると広悦丸は瞬時に沈没していった。スレッシャーは魚雷を使い切ったのでミッドウェー島に向かった。10月3日、スレッシャーはトロール船を発見し、追跡した。日没後に浮上し、5インチ砲で撃沈した。10月8日にミッドウェー島に寄港。10月12日、スレッシャーは50日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 1945年1月31日、スレッシャーは15回目の哨戒でタイルフィッシュ (USS Tilefish, SS-307)、シャード (USS Shad, SS-235)、ピート (USS Peto, SS-265)、ウルフパックを組んでルソン海峡方面に向かった。2月12日から13日にサイパン島に寄港した後、哨戒海域に到着。ウルフパックの中でスレッシャーのみが敵との2度の接触に成功した。しかし、1つは相手が浅吃水で命中せず、もう1つは回避された。3月28日にはピラーニャ、パファー (USS Puffer, SS-268) とともにバタン島バスコに対して艦砲射撃を行った。4月4日、スレッシャーはサイパン島で潜水母艦フルトン (USS Fulton, AS-11) の整備を受けた。4月24日、スレッシャーは82日間の行動を終えて真珠湾に帰投。これがスレッシャーの最後の哨戒となった。
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