第四話 飛竜剣敗れたり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 03:37 UTC 版)
「腕 -駿河城御前試合-」の記事における「第四話 飛竜剣敗れたり」の解説
午前の部の最後に行われた第四試合は、大一番であった。出場者の1人・黒江剛太郎は、甲府城下で未来知新流の看板を上げる二刀流の遣い手。黒江の対戦者もまた同じ二刀流であった。 元和8年(1622年)、黒江剛太郎は赤江剛蔵(あかえ ごうぞう)の名で加賀藩に仕えていた。剣の腕でのし上がろうという野心を持っていた赤江は、藩の武芸師範・石黒武太夫を打ち負かし師範の座を奪おうと考えていたが、石黒の強さを目の当たりにし、その希望は打ち砕かれた。そんな折、石黒が普請奉行の娘・珠江を嫁に所望しているという噂を耳にした。赤江を藩士として召抱えるのに助力してくれた大番頭の息子・村岡安之助は珠江に惚れており、赤江はそんな安之助をけしかけて石黒を討たせる計略を考えつく。ある夜、神社に呼び出した石黒に、赤江は背後から小太刀を投げつけ、その隙に乗じて安之助は石黒を斬り伏せた。 安之助は珠江を妻に迎えたが、石黒を討った件を恩に着せた赤江は金を無心し師範の地位に着けるよう要求し続けた。遂には師範の地位に着くのを待つ代わりに珠江を抱かせろと要求するまでになり、逆上した安之助に赤江は顔を深々と斬られる。赤江はとっさに腰の小太刀を抜いて投げつけ、その隙に安之助を斬り捨てた。これが「未来知新流極意・飛竜剣」の開眼であった。赤江は珠江を陵辱した上で殺害し、そのまま逐電した。 6年後の寛永5年、甲府城下に顔に深い傷が刻まれた男・黒江剛太郎が未来知新流の道場を開いた。挑んできた者達を二刀流の技・極意飛竜剣で倒していくうちに、門弟も増えていった。ある日、招かれた甲府城奉行の邸で、円明流・宮本武蔵が二階堂流の剣士との試合を怖れて逃げたという話題から、黒江は武蔵の二刀流は本物に非ずと言い放ち、駿河藩の二階堂流の剣士・片岡京之介と真剣試合を挑みたいと告げた。真剣勝負を拒む片岡を試合の場に引きずり出した黒江は、飛竜剣を用いて片岡を難なく倒した。その結果、黒江の名は広まり、門弟は1000人を超えた。誰もその勢いを止めることの出来なくなった黒江に対し、駿河城の御前試合にて勝負をしたいという書状が届く。その書状の主の名を見た黒江は、申し出を受け入れた。 勝負は一瞬でついた。黒江が投げた脇差を左手に持った脇差で叩き落した後、男は飛び上がって頭上から黒江を一太刀で斬り伏せた。勝負は挑戦者 ― 円明流・宮本武蔵の勝利に終わった。 登場人物 黒江 剛太郎(くろえ ごうたろう) 眉間から頬にかけて大きな傷のある異相の男。甲府城下に「未来知新流」の道場を開く。左手の脇差を相手に投げつけ、体勢を崩したところを右手の太刀で切り伏せる「飛竜剣」という技を得意とする。 かつて仕えていた藩でいざこざを起こし、脱藩して赤江剛蔵と名乗っていた。己の剣術の腕に強い自負心を抱き、剣でのし上がることを目論む野心家でもある。 村岡 安之助(むらおか やすのすけ) 加賀藩大番頭(おおばんがしら)・村岡半左衛門の息子。 石黒 武太夫(いしぐろ ぶだゆう) 加賀藩の武芸師範。丹石流の剛剣の遣い手。 片岡 京之介(かたおか きょうのすけ) 駿河藩の書院番。二階堂流剣術の遣い手。 珠江(たまえ) 普請奉行・佐倉次郎太の娘。 宮本 武蔵 (みやもと むさし) 天下に名を知られた剣豪にして、円明流の遣い手。 原作との相違点 原作での黒江の対戦者であった片岡京之介が、御前試合に先立って黒江と立ち会って敗死している。代わって御前試合での黒江の対戦者が宮本武蔵になっている。 殺し合いになった際に、安之助に斬りつけられて黒江は顔に大きな傷をつけられており、また加賀藩から脱藩した際、珠江を連れて行かず殺害している。
※この「第四話 飛竜剣敗れたり」の解説は、「腕 -駿河城御前試合-」の解説の一部です。
「第四話 飛竜剣敗れたり」を含む「腕 -駿河城御前試合-」の記事については、「腕 -駿河城御前試合-」の概要を参照ください。
- 第四話 飛竜剣敗れたりのページへのリンク