第五回内国勧業博覧会とは? わかりやすく解説

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第五回内国勧業博覧会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 07:46 UTC 版)

内国勧業博覧会」の記事における「第五回内国勧業博覧会」の解説

1903年(明治36年)、第5回大阪今宮での博覧会は、日本工業所有権の保護に関するパリ条約加盟したことから海外からの出品が可能となり、14か国18地域参加し出品点数31,064点と予想上の出品集まった。この数字は、1900年明治33年パリ万博37か国、1902年明治35年グラスゴー万国博覧会14か国と比べてもあまり遜色なく、事実上小さな万国博覧会みなして差し支えないだろう。 当初1899年開催予定だったが、1900年パリ万博1901年グラスゴー万博への参加準備のため延期された。 3月1日から7月31日まで。観覧530万余会場イルミネーション冷蔵庫などの新製品評判となった橋本雅邦瀟湘八景」、寺崎広業滝口入道」、岡田三郎助読書」、和田英作「こだま」米原雲海幼児林檎」、赤塚自得荒磯図額」、濤川惣助月額」など。一方でアジアアフリカ様々な民族生きたまま展示する学術人類館」が外交問題となった人類館事件参照)。 博覧会跡地日露戦争中に陸軍使用したのち、1909年明治42年)に東側の約5万坪が大阪市によって天王寺公園となった西側の約28千坪は大阪財界出資大阪土建物会社払い下げられ1912年明治45年7月3日、「大阪の新名所」というふれこみ「新世界」誕生通天閣ルナパーク開業した

※この「第五回内国勧業博覧会」の解説は、「内国勧業博覧会」の解説の一部です。
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