本田幸介とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 本田幸介の意味・解説 

本田幸介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 07:50 UTC 版)

本田幸介

本田 幸介(ほんだ こうすけ、文久4年1月4日[1]1864年2月11日) - 昭和5年(1930年4月20日[2])は、日本の農学者東京帝国大学教授、九州帝国大学教授。帝室林野局長官。農学博士[3]宮中顧問官[3]。族籍は東京府士族[3]。旧姓は野村。

経歴

鹿児島藩士で初代長崎裁判所総督、初代埼玉県令となった野村盛秀の二男として生まれ、本田仲次郎の養子となった[3]1886年(明治19年)、駒場農学校を卒業した[1]農商務属、技手、東京農林学校教授、帝国大学農科大学助教授を歴任した[1]1891年(明治24年)から1895年(明治28年)までドイツに留学し、帰国後に帝国大学教授に就任した[4]1899年(明治32年)、農学博士号を受けた[1]

1906年(明治39年)より統監府勧業模範場場長、朝鮮総督府勧業模範場場長、同農林学校校長を務め、1919年大正8年)に退官した[4]

1921年(大正10年)、九州帝国大学教授・農学部長に就任し、翌年に帝室林野局長官に任命された[4]1926年(大正15年)に退官した後は宮中顧問官に就任した[4]

栄典

家族・親族

本田家

鹿児島県、東京小石川駕籠町[3]

1879年 - ?
  • 男・彌太郎[3]
1905年 - ?
  • 女・博子[3]
1899年 - ?
  • 二女・華子(東京府人・前田三介に嫁ぐ)[3]
1900年 - ?
  • 女・近子[3]
1903年 - ?

脚注

  1. ^ a b c d 第五回内国勧業博覧会審査官列伝 pp.109-110 1903.
  2. ^ 『官報』第994号、昭和5年4月25日。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第8版』ホ46-47頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年8月5日閲覧。
  4. ^ a b c d 故宮中顧問官本田幸介叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113069200 
  5. ^ 『官報』第6427号「叙任及辞令」1904年12月1日。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「本田幸介」の関連用語

本田幸介のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



本田幸介のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの本田幸介 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS