人類館事件への対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 22:57 UTC 版)
1903年、大阪で開かれた第五回内国勧業博覧会の際、その周辺で「学術人類館」という見世物小屋が建てられ、琉球人女性がアイヌ人、台湾人、朝鮮人、中国人、インド人、ハワイ人などとともに「陳列」される事件が起こった。これに対し、韓国や中国の留学生が抗議の声をあげ、太田も琉球新報紙上で「隣国の対面を辱めるものである」と批判したが、一方で「琉球人が生蕃(台湾先住民)やアイヌと同一視され、劣等種族とみなされるのは恥辱」と差別意識丸出しの論評を行なった。
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