第二次世界大戦・戦後
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1944年(昭和19年)1月にタンカー紀洋丸(二代目)がアメリカ潜水艦ラッシャーに撃沈された。同年6月にはマリアナ沖海戦でタンカー玄洋丸が沈没した。戦後の財閥解体では、1946年(昭和21年)11月に浅野本社(浅野財閥の本社)が第二次指定会社に入り、12月には浅野物産が第三次指定会社に入った。1947年(昭和22年)に浅野物産は朝日物産を独立させたが、1961年(昭和36年)にその朝日物産と対等合併して東京通商となり、1965年(昭和40年)には東通と改称したが、この年に鉄鉱石輸入取扱高では三井物産・三菱商事に次ぐ三位で、旧浅野財閥の日本鋼管(JFE)と協力して、ペルーのマルコナ鉄鉱山とオーストラリアのゴールズワージー鉄鉱山の開発輸入を進めていた。この頃、丸紅飯田(丸紅)は鉄鉱石輸入により鉄鋼企業と関係を築いて、鋼材の国内流通に参入しようと考えていた。そこで日本鋼管・東京銀行・富士銀行(旧安田財閥)の斡旋によって、1966年(昭和41年)に東通と丸紅飯田(丸紅)が合併して、丸紅飯田が日本鋼管の主力商社になった。
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第二次世界大戦~戦後
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「ニュース映画」の記事における「第二次世界大戦~戦後」の解説
第一次世界大戦におけるニュース映画の反響を受けて、第二次世界大戦でもニュース映画は宣伝戦のほか国威発揚や戦意高揚のためのプロパガンダ映画として活用された。ドイツで製作された『ドイツ週間ニュース』のように映画館での上映が義務づけられた例もある。 第二次世界大戦後、ニュース映画はテレビの普及とともに衰退したが、1960年代末の「ニューズリール運動」などに影響を与えた。 なお、ニュース映画の製作はアメリカやドイツなど欧米では映画会社が主流であり、新聞社や通信社が主流だった日本とは異なる。
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