干拓と埋め立て
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 21:51 UTC 版)
江波が島であった頃、広島湾は洪水が発生した際に流出した土砂が、広島湾に溜まって自然の力によって海岸線が南下していった。約400年前、毛利輝元によって広島城が築かれると、人の力によって急速に干拓が進んでいった。明治時代には舟入と陸続きになった。現在の地形になったのは第二次世界大戦戦後の埋め立てによるものである。 現在の中区白島(はくしま)が箱島(はこしま)、南区比治山は日地島(肘山・ひじやま)、南区黄金山(おうごんざん)が仁保島(にほじま)、そして中区江波の江波山及び江波皿山は江波島(えばじま)と呼ばれていた。
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