第九話 淀殿・その子とは? わかりやすく解説

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第九話 淀殿・その子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 13:44 UTC 版)

豊臣家の人々」の記事における「第九話 淀殿・その子」の解説

幼少期二度落城体験し、その地獄絵を目に焼きつけながらも二度と生き延びた信長の姪・茶々。しかし数奇な運命はそれで終わらず不思議な巡り合わせの後に彼女は二度と攻城軍指揮をとった秀吉側室となる。秀吉寵愛ぶりはただ事ではなく淀川のほとりに新しく城を築いて与えるほどであった以後淀殿」と尊称されるようになった茶々はさらに世子の秀頼を産んだことで豊臣家中で確固たる地位を築くこととなり、折しも尾張出身者近江出身者対立激しくなっていた最中尾張者達が正室北ノ政所を恃んだのに対し近江者達は彼女の下に集まって閨閥形成されるうになるとはいえ淀殿自身には近江者を集めて権勢を奮おうなどといった意志欠片もなかった。彼女はそうした政治的抗争理解する力を生来持っておらず、足下日々繰り返される諍い己と愛息運命関わる可能性など考えもしなかった。やがて秀吉死んで両閥の軋轢頂点達して豊臣家二分され、かねてより天下簒奪機会窺っていた家康混乱乗じて関ヶ原の戦い誘引させ、政治的詐術天下実権鮮やかに掠め取った。しかし淀殿反応鈍く、この戦の重大性理解できず、戦後もしばらく豊臣家一大名に転落したことすら気づかなかった。由来淀殿政治という怜悧な心気犀利心配り必要な思考できない不幸に運命が彼女をしてその思考の場に立たせているのみであり、その中でありあわせ情念のままひたすらに振舞ってきたに過ぎなかった。諸事において信長の姪という己の血の尊貴さと、妄愛する秀頼を中心に据えてしか物事を考ることができず、卓抜した智謀乱世渡ってきた家康にとっては相手ではなかった。豊臣家滅亡謀る家康は、時に宥め時に恫喝し、掌で転がすようにして徐々にその力を削いでいった。やがて政情大坂の陣へと雪崩れ込みついに最終決戦が始まるものの、大坂城内は相変わらず政治軍事わからぬ淀殿言い様振り回され諸将よりも女官達が力を持ち指揮系統壟断する有様であり、兵達の士気大いくじいた果ては詐略ともいえぬ子供だましの手段で濠を埋め立てられ、かつて東洋一大城塞と謳われた大坂城無残に裸城にされてしまう。追い詰められた末、淀殿愛息共々果てた。秀頼には辞世何もない。戦の最中豊臣兵達は再三その出馬乞うたが、その度淀殿頑なな反対にあって結局実現しなかった。秀頼はその短い生涯のうちにその人柄や心壊推し量る何ものをも遺さなかった。おそらくはその死も介添え手を貸し、是非もなく死に至らしめたに違いないこのようにして、この家は滅んだ豊臣一族栄華は、さながら秀吉という天才産んだひとひら幻影のように現れ消えていった。

※この「第九話 淀殿・その子」の解説は、「豊臣家の人々」の解説の一部です。
「第九話 淀殿・その子」を含む「豊臣家の人々」の記事については、「豊臣家の人々」の概要を参照ください。

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