第一阿房列車とは? わかりやすく解説

第一阿房列車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 08:24 UTC 版)

阿房列車」の記事における「第一阿房列車」の解説

特別阿房列車 阿房列車第一作1950年昭和25年10月22日 - 23日特急「はと」での東京 - 大阪の往復旅行記。戦時中廃止されていた東海道本線特急列車本格復活したのを機会に、汽車旅行好きの百閒が「戦前以来久方ぶり長旅」として挙行した旅であるが、列車大阪向けてようやく出発するのは全編が7割以上進行してからで、そこまで借金による旅費調達と、東京駅構内での右往左往占められている。 区間阿房列車 1951年昭和26年3月10日 - 12日東海道本線御殿場線経由静岡まで普通列車での旅行記国府津駅列車乗り遅れた百閒駅員との間で、珍問答が展開される鹿児島阿房列車 前章後章 1951年昭和26年6月30日 - 7月7日鹿児島八代への旅行記途中広島へも立ち寄っている。八代の宿を気に入った作者は、その後何度もその宿(松浜軒)を訪れる。 東北本線阿房列車 1951年昭和26年10月21日 - 24日、かつての大学教授時代教え子百閒流の呼び方では「学生」)のいる盛岡立ち寄り青森県浅虫温泉へ至る旅行記盛岡には当時でも朝9時前上野発の青森行き急行みちのく」で日着できたが、朝寝坊百閒早起きを嫌い、昼に上野を出る仙台行準急福島市まで行き一泊翌日昼過ぎ福島から下り列車乗り込んで盛岡に向かうという、2日がかりのマイペースぶりを発揮する奥羽本線阿房列車 前章後章 東北本線阿房列車続編1951年昭和26年10月25日 - 29日浅虫温泉から東京までの帰路描いている。青森の街で床屋探してふらつき秋田では名物ハタハタ絡んだ珍問答を繰り広げ横手からは横黒線(現・北上線)の大荒沢駅まで寄り道するなど脱線連続最後仙山線経由仙台松島経て帰京ここまでの旅は1951年昭和26年)までに行われ、『第一阿房列車』としてまとめられたが、以後1年ほどの空白があり、次の旅は1953年昭和28年以降となる。

※この「第一阿房列車」の解説は、「阿房列車」の解説の一部です。
「第一阿房列車」を含む「阿房列車」の記事については、「阿房列車」の概要を参照ください。

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