第一阿房列車
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特別阿房列車 阿房列車の第一作。1950年(昭和25年)10月22日 - 23日、特急「はと」での東京 - 大阪の往復旅行記。戦時中に廃止されていた東海道本線特急列車が本格復活したのを機会に、汽車旅行好きの百閒が「戦前以来久方ぶりの長旅」として挙行した旅であるが、列車が大阪へ向けてようやく出発するのは全編が7割以上進行してからで、そこまでは借金による旅費調達と、東京駅構内での右往左往で占められている。 区間阿房列車 1951年(昭和26年)3月10日 - 12日、東海道本線(御殿場線経由)静岡まで普通列車での旅行記。国府津駅で列車に乗り遅れた百閒と駅員との間で、珍問答が展開される。 鹿児島阿房列車 前章・後章 1951年(昭和26年)6月30日 - 7月7日、鹿児島・八代への旅行記。途中広島へも立ち寄っている。八代の宿を気に入った作者は、その後も何度もその宿(松浜軒)を訪れる。 東北本線阿房列車 1951年(昭和26年)10月21日 - 24日、かつての大学教授時代の教え子(百閒流の呼び方では「学生」)のいる盛岡に立ち寄り、青森県の浅虫温泉へ至る旅行記。盛岡には当時でも朝9時前上野発の青森行き急行「みちのく」で日着できたが、朝寝坊の百閒は早起きを嫌い、昼に上野を出る仙台行き準急で福島市まで行き一泊、翌日の昼過ぎに福島から下り列車に乗り込んで盛岡に向かうという、2日がかりのマイペースぶりを発揮する。 奥羽本線阿房列車 前章・後章 東北本線阿房列車の続編。1951年(昭和26年)10月25日 - 29日、浅虫温泉から東京までの帰路を描いている。青森の街で床屋を探してふらつき、秋田では名物・ハタハタに絡んだ珍問答を繰り広げ、横手からは横黒線(現・北上線)の大荒沢駅まで寄り道するなど脱線の連続。最後は仙山線経由で仙台・松島を経て帰京。 ここまでの旅は1951年(昭和26年)までに行われ、『第一阿房列車』としてまとめられたが、以後1年ほどの空白があり、次の旅は1953年(昭和28年)以降となる。
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