第一審・静岡地裁沼津支部
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「三島女子短大生焼殺事件」の記事における「第一審・静岡地裁沼津支部」の解説
2002年11月12日に静岡地裁沼津支部(高橋祥子裁判長)で被告人Hの初公判が開かれ、被告人Hは罪状認否で起訴事実を大筋で認めたが、車への監禁について高橋裁判長から「(被害者Aを)車に乗せる時点では強姦する気持ちはなかったのか」と確認されると「全くありません」と強い口調で答え、強姦目的の拉致を否認した。同日、被告人Hの弁護人側は「証拠が膨大で十分検討していない」として証拠採用についての意見を留保した。 事件発生から1年となる2003年(平成15年)1月24日に第2回公判が開かれ、検察官により同日に証拠採用された被害者遺族(被害者の両親)らの調書が朗読された。第3回公判(2003年2月20日)では弁護人側が陳述し、「被告人Hが被害者Aを拉致・殺害するまでの経路などは検察官の主張とは異なる」と主張した。 第4回公判(2003年3月20日)で被告人質問が行われ、被告人Hは「犯行後に覚醒剤を使用していた」と認めた上で、弁護人から「殺害の際に使用した灯油入りポリタンクを持ち出した段階における心情」を質問され「漠然と『(被害者Aが)いなくなればいい』と思ったり、脅す意図もあったが、(殺害しようという)明確な意識はなかった」と説明した。また「被害者Aが三島市内で一度車から飛び降りて逃げようとしたが、再び車に連れ戻した。(この事実をそれまでに自供しなかった理由は)罪が重くなると思ったからだ」と述べた。 第7回公判(2003年7月10日)では検察官が被害者女子短大生Aの両親を証人尋問し、両親からそれぞれ被告人Hへの極刑を望む旨の陳述を得た。さらに第8回公判(2003年8月26日)では検察官・弁護人がそれぞれ証人尋問を行い、検察官証人として召喚された被害者Aの姉は前回公判の両親と同様に被告人Hへの極刑を望む旨を述べた一方、弁護人証人として召喚された被告人Hの父親は「息子がやったことは取り返しのつかないことだが、どんな判決が下されても息子には生きていてほしい」と述べた。 2003年10月9日に論告求刑公判が開かれ、静岡地検沼津支部の検察官は被告人Hに死刑を求刑した。審理は2003年10月30日の公判で結審し、同日に行われた最終弁論で弁護人は「強姦・殺害を目的とした計画的犯行ではなく、犯行当時は飲酒・覚醒剤使用により正常な判断能力を有していなかった。被告人Hは真摯に反省しており矯正の余地もある」と述べて死刑回避を求め、適切な量刑に関して「無期懲役か有期懲役が相当」と主張した。最終意見陳述で被告人Hは「自分のしたことでたくさんの人に迷惑をかけて本当にすみませんでした」と述べ、犯行を謝罪した。
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