第一審・青森地裁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 01:01 UTC 版)
「武富士弘前支店強盗殺人・放火事件」の記事における「第一審・青森地裁」の解説
青森地方検察庁は2002年3月24日に強盗殺人・同未遂・現住建造物等放火の各罪状で被疑者Kを青森地方裁判所に起訴した。起訴を受けて青森県警捜査一課・弘前署の捜査本部は2002年3月27日午後5時をもって事件直後の設置から約320日で解散したほか、青森地検は同日付で被告人Kの身柄を検事勾留から未決勾留(起訴勾留)に変更して弘前署から青森刑務所柳町拘置支所に移監した。 2002年6月6日、青森地方裁判所(山内昭善裁判長、合議体)で被告人Kの初公判が開かれた。被告人Kは罪状認否で「ガソリンは脅すために持って行ったもので火をつけるつもりはなく、殺意はなかった」と主張した。 被告人Kは当初、自分が死刑になる可能性をあまり考えておらず、青森地裁での公判中、出所をしたあとの事について書かれた手紙を母親に送っている。 しかし被告人Kが自ら撒いたガソリンに実際に火をつけ被害者を死に至らしめていることなどから、判決では「強盗が失敗して自暴自棄になり、支店内の社員らが死ぬかも知れないことを認識しながら、それでも構わないと考えてガソリンに火を放ち、被害者を殺害した」とし「未必の殺意」が認定され、さらに「事件後も捜査を攪乱するため手紙を出したり、事件の原因となったギャンブルを続けており被害者に対する反省の態度は全くない」と指弾された。 初公判以来計8回にわたって開かれた公判では被告人Kの殺意が主な争点となったが、被告人・弁護人は殺意の有無以外の事実関係については特段に争わなかった。また青森地裁が本事件の重大性を考慮して集中審理方式を導入し、公判期日に別の事件審理日程を入れない・公判時間を午前から夕方まで取るなど公判日程を調整して本事件の公判を迅速に進行したことに加え、被告人側から情状証人が出廷しなかったことも相まって証拠調べは2002年9月5日・第6回公判までに完了し、逮捕から約11カ月となる2003年2月に早期の判決言い渡しがなされた。 2002年10月10日、青森地裁第一号法廷(山内昭善裁判長、合議体)で開かれた論告求刑公判で検察側(青森地検)は被告人Kに死刑を求刑した。 2002年11月14日に弁護人側の最終弁論が行われ、弁護人が「殺意は認められず、検察側の主張する強盗殺人罪ではなく強盗致死罪・強盗致傷罪が成立する。無期懲役が相当」と主張して死刑回避を訴え結審した。 2003年(平成15年)2月12日、青森地裁第一号法廷(山内昭善裁判長、合議体)は検察側の求刑通り被告人Kに死刑判決を言い渡した。 被告人Kは判決を不服として閉廷後直ちに仙台高等裁判所に控訴した。
※この「第一審・青森地裁」の解説は、「武富士弘前支店強盗殺人・放火事件」の解説の一部です。
「第一審・青森地裁」を含む「武富士弘前支店強盗殺人・放火事件」の記事については、「武富士弘前支店強盗殺人・放火事件」の概要を参照ください。
- 第一審・青森地裁のページへのリンク