第一世代の女性イラストレーターとして
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「ローズ・オニール」の記事における「第一世代の女性イラストレーターとして」の解説
1893年、オニールの父は娘の才能を生かすためニューヨークに送って画家の道を進ませようとした。その途上、シカゴの万博に立ち寄ったオニールは生まれて初めて本格的な絵画や彫刻を目にした。それまでは父の蔵書で見るしかなかったものだった。ニューヨークでは聖レジス修道女会の修道院に預けられた。オニールは修道女に付き添われて出版社を回り、小説の原稿やポートフォリオに収めた60枚の絵を持ち込んだ。絵は数社の出版社に売れ、新しく依頼も得られた。 1896年9月19日付の『トゥルー』誌に掲載された The Old Subscriber Calls はイラストレーションではなくコミック・ストリップ形式の作品だった。世界初のコミック・ストリップとされる『ホーガンズ・アレイ(イエロー・キッド)』の連載が始まったのは前年であり、オニールはアメリカで最初の女性漫画家だと考えられている。ただし当時は女性の社会進出が必ずしも歓迎されていなかったため、初期の作品は単に「オニール」と署名され、作者の性別は隠された。このころオニールは女性読者から多くのラブレターを受け取ったという。 1897年に男性向けの風刺雑誌『パック(英語版)』とフルタイムの契約を結んだ。編集部に女性は一人だけだった。オニールは同誌に通算で700枚以上の作品を載せた。題材は女性と子供、西部開拓や人種問題など幅広かった。女性学と漫画を研究する大城房美はそれらの作品が「「女性」という視点を意識しており、作品の中から読者を見据える女性はそれぞれ主体性を持って描かれている」と述べている。黒人を題材とした作品も、当時の類型化された表象とは一線を画す先進的なものだった。しかしオニールの回想では、知的で強い女性やマイノリティを描いたイラストレーションを『パック』に寄稿しても、文章を担当する編集者によって茶化されてしまったという。 イラストレーターとして名声を確立したオニールはそれ以降、『ハーパーズ・マガジン(英語版)』や『ライフ』をはじめとする雑誌、ジェローやケロッグ、コダックのような企業広告、本の挿絵、小説や絵本の執筆など広い分野で1930年代に至るまで途切れずに活動を続けることになる。
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