竹槍に関する荒木の発言
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「竹槍三百万本論」の記事における「竹槍に関する荒木の発言」の解説
1933年(昭和8年)3月7日、英国大使館で行われたジョージ・バーナード・ショー(1856 - 1950)との対談において、近代兵器の話題の中で竹槍を話題に出している。 シ 細菌散布の戰術は實に悲慘で人道上甚だ遺憾だ陸 毒ガスも人を殺すのをやめて數年間眠るのを用ひることにしたらよい、眠らせられたものはその間天國の樣な夢を見て覺めた時には戰爭が終つてゐるといふ樣なのは理想的だシ 人を殺さずに戰爭するには科學兵器をうんと發達させて機械と機械だけで戰爭すれば人を殺さないでよい陸 それは新兵器の製作で各國が競爭する結果國家の財政を危くし負擔を重くして國民を苦しめるから、いつそ昔にかへつて竹槍戰術が一番よいと思ふ — バーナード・ショー(シ)、荒木貞夫(陸)、『東京朝日新聞』東京朝日新聞社、昭和8年3月8日、11面 同年7月22日、高崎留守隊の視察及び前橋市で行われる国防議会発会式に向かった荒木が、高崎行きの列車車中で語った時局談の中に、国防予算に関する下記の一節があり、竹槍について300万本という具体的な数字を用いて語っている。 海軍大臣に會つたことから大分國防豫算がやかましくなつてゐるやうだ國防許りでなく凡て國策は内外諸般の情勢を考慮に入れて决定せねばならぬもので豫算の多寡は問題でない、海軍が力瘤を入れてゐる第二次補充計畫は未だ計數が整はないので金額の點には及ばず國防に立脚した國策について話合つたのであるが國防財政上どうしても必要の金も出せないと云ふなら陸軍は竹槍を三百万本も作つてくれるならそれでもよいと思つてゐる位である — 荒木貞夫、『讀賣新聞』讀賣新聞社、昭和8年7月23日、1面 同年10月22日、福井県で行われる陸軍特別大演習の陪観に向かった荒木が列車車中で語った時局談の中にも、竹槍に関する下記の一節がある。 豫算については國民が一致協力してくれさへすれば少なくなつても良い、お互に財布の底をたゝき合つてそれでも出來ないなら何んといつても仕方はないが最後は竹槍三百萬本でも戰つて見せる、決して皇土をじゆうりんさせるやうなことはしない — 荒木貞夫、『東京朝日新聞』東京朝日新聞社、昭和8年10月23日、2面 1934年(昭和9年)1月1日に荒木が出版した『非常時の認識と青年の覚悟』において、「先づ人の和を図れ」の章で竹槍に関して下記の記述をしている。 軍事費が餘計に掛つていかぬと言ふならば、もう要塞を全部平らにして兵器を全部仕舞ひ込んで此の九千萬國民が一致して、人と人との和、皇室と日本道とを戴いてやつたならば宜い。さうすれば國防の爲に竹槍三百萬本を揃へて置きさへすれば、それでもう澤山だと私は思ひます。竹槍三百萬本位の費用は幾らの費用にもならぬのである。每年々々甲州から新しい竹を切つて槍を造つた所で三百萬圓は要らないのである。その軍事費を以て生產費、敎育費に充てれば洵に結構である。 — 荒木貞夫、『非常時の認識と靑年の覺悟』文明社、昭和9年1月1日、39頁 1935年(昭和10年)5月13日に荒木私邸で行われた、荒木と石橋湛山(1884-1973)による対談において、竹槍に関して下記のように発言している。 荒木 私は會議に於て高橋さんに言つた。國策がそうと決れば竹槍三百萬本を持ても國防の任に當ります。私は出鱈目を言つて居るのぢやない。それだけ財政がお困りで其立直しが急であるならば全部返上致します。その代り國防擔任に飽迄屈しないといふだけの思想的の力を國民に有つて貰はなければならぬ。どんなに苦しんでもお辭儀はしない。最後迄踏止まるといふ覺悟をして貰はなければならぬ。そして戰さの事は吾々に委かして貰はなければならぬ。大阪の例をとつては大阪の人に濟まぬが、例へば大阪位が燒拂はれてもヘコたれぬといふ決心があれば竹槍で立派に日本を守つて見せます。然し國民がそれが厭やだと云へば情勢に應じては全財政を擧げても軍備をやつて貰はなければならぬ場合がある、斯う言つたのです。 — 荒木貞夫、『東洋經濟新報』東洋經濟新報社、昭和10年6月1日、30-31頁
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