竹槍術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 22:29 UTC 版)
「竹槍術」は、大日本帝国陸軍が1940年代に完成させ、1943年より大日本帝国の国民に教育された武術。竹槍術の「真髄ヲ体得シ必勝ノ信念ヲ養成スル」のための教本である『竹槍術訓練ノ参考』も、教育総監部によって制作された(生徒用と先生用の2種類がある)。なお、国立公文書館アジア歴史資料センターがネット公開している「竹槍術訓練の参考」は、帝国在郷軍人会台北支部が複写・頒布したものが、戦後に防衛省防衛研究所に収蔵されたもので、「竹槍術」は台湾や朝鮮など当時は日本だった諸地域でも教育されていた。 『竹槍術訓練の参考』は冒頭に「白兵戦ハ使術簡単ニシテ精練ナルモノ克ク勝ヲ制ス」との言があり、竹槍は明確に白兵戦のための「兵器」と位置付けられているが、同時に「銃代用」としての面や「心身ノ訓練陶冶」など、竹槍術の教練を通じた教育的要素も重視されている。 竹槍術においては「刺突」がもっとも重要視され、「気・槍・体」が一致していないと正しい刺突が行えないとされる。また、「一突必殺」と言う、精神的要素も重視されている。 なお、古武道における「竹槍術」には、「槍術」に「薙刀術」の要素も取り入れられ、敵を刺突するだけでなく、敵を押さえたり薙ぎ払ったりと言った実戦的要素が高められたものもあるが、教育総監部式の「竹槍術」は、そのような武道の達人ではなく老人・女性・小学生などの銃後の国民に対して、在郷軍人などが本土決戦が迫る中で短時間で白兵戦の教練を行うための物であるため、「一突必殺」だけである。 インドネシアに進出した日本軍が現地の人々に竹槍術を教えるために制作された、日本映画社ジャカルタ製作所による教育映画『TAKEYARI JUTSU Pemakaian Tombak bamboe』(1943)が存在する。竹槍を規格通りにメジャーで測って正確に裁断したり、竹槍の先を火で焙って固くしたり、屈強な日本兵が「突撃にぃー、進めッ!」の合図とともに大きな声を出しながら撃突台(竹槍訓練の時などに使う稽古用の的。軍教品として市販されていた)を次々と竹槍で刺していく様子など、『竹槍術訓練の参考』に書いてある通りのことだが、竹槍術の実際が映像で記録されている。ちなみに「Pemakaian Tombak bamboe」とはマレー語で「竹槍術」の意味。
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