童貞に対する価値観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:48 UTC 版)
カエサルの著した『ガリア戦記』によれば、古代ゲルマン人の間では長く童貞を守れば身長が伸びたり、体力が優れていたり、筋肉が強くなったと信じられていたため、遅くまで童貞を守る者は賞賛されていた。その一方で、20歳になる前に童貞でなくなることは醜い恥の一つと見なされていた。 戦前の日本では、1922年から1928年にかけて安田徳太郎および山本宣治が学生、インテリ層、労働者を対象に実施したセックス・リサーチにあるように、自他共の純潔を尊重し、結婚するまでは童貞を守るべきという風潮が強かった。 こうした貞操観念は戦後に入るにつれて次第に崩壊して行った。1948年に起こったいわゆる「童貞訴訟」と呼ばれる裁判において、新婚の男性が「共同生活の義務を履行せざる」として妻に対し童貞喪失の慰謝料を訴えた事案がある。ここでの結論は「女子の貞操の喪失に対する社会的評価と男子の童貞の喪失に対する社会的評価を同一に評価することは法律上妥当しない」とされており、女性が持つ「処女」の価値観と男性が持つ「童貞」の価値観の乖離が見られるようになる。1960年代に入るとこの風潮は一層強いものとなり、批判的言説が繰り返されるようになると、それまで美徳と見られていた童貞は恥と見られるようになった。 現代の日本において、一定の年齢を過ぎて童貞でいることを問題として見る観念が存在し、童貞ということを長い間身近な人々へ隠して秘密にせざるを得ない人もいる。政府による2010年の調査では、30代独身の男性の4人に1人が童貞で、同条件の処女である女性もこの割合をやや下回るのみであった。一部では、ホワイトハンズ(「新しい性の公共」を掲げるNPO)の支援教室のように、同様の人々が集う場で童貞であるということを打ち明けて自らの体験をオープンに共有するという試みも見られる。
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