秋月に関する通説
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「秋月 (駆逐艦)」の記事における「秋月に関する通説」の解説
秋月が初戦でB-17重爆3機と遭遇し、前部砲塔と後部砲塔を別々の目標に指向して2機を撃墜した。 これは古賀彌(秋月初代駆逐艦長)が戦後記述した文章が基となっている。しかし艦艇研究家の田村俊雄は調査の中で、 公式記録(「駆逐艦行動調書」)では、B-17撃墜は1機となっている。 乗組員への聞き取り調査によると後部の高射装置は竣工時から未装備であった。また、初戦に限らずいかなる実戦でも分火を行った記憶が無い。 秋月を建造した舞鶴工廠に勤務していた方々への聞き取り調査でも一部で未装備だったという証言があり、秋月公式図の写図には前部高射装置が実線、後部高射装置は一点鎖線で書かれている。秋月竣工直後に赴任した元技術大尉は「写図に実線で描かれていないのなら完成時に装備されていなかったことを示すもので、写図に誤りがあるとは考えられない」と語っている。 以上により、艦橋上の1基しかなく同時に2機の目標に照準を合わせることは不可能だったとしている。また別の記録として宇垣纏連合艦隊参謀長の「戦藻録」では、9月29日に秋月がブカ島でB-17爆撃機2機と交戦、1機を撃墜し「防空駆逐艦の価値を始めて発揮せり」と記述している。 そのためアメリカ軍は秋月型には不用意に近づかないよう警告を発した。 このことについて田村は同じく調査の中で、 基となるアメリカ側資料が自力調査しても全く見当たらず、海外の友人に協力してもらっているがそれでも見つからないこと。 同じように警告に関する通説も海外の文献に登場しないこと。 以上から、通説が日本のみで言われていることではないか、と推測している。 「警報を発した」説は、福井静夫が雑誌「丸」昭和46年12月号に寄稿した記事にある。この記事において福井は「ソロモン海域に新鋭艦が出現したという警報は、ただちに全軍にたっせられたらしい。」と、あくまでも伝聞として記述している。
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秋月に関する通説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 01:23 UTC 版)
秋月が初戦でB-17重爆3機と遭遇し、前部砲塔と後部砲塔を別々の目標に指向して2機を撃墜した。 これは古賀彌(本艦初代艦長)が戦後記述した文章が基となっている。しかし艦艇研究家の田村俊雄も調査の中で、 公式記録(「駆逐艦行動調書」)では、B-17撃墜は1機、消費弾薬は108発となっている。 乗組員への聞き取り調査によると後部の高射装置は竣工時から未装備であった。また、初戦に限らずいかなる実戦でも分火を行った記憶が無い。 秋月を建造した舞鶴工廠に勤務していた方々への聞き取り調査でも一部で未装備だったという証言があり、秋月公式図の写図には前部高射装置が実線、後期高射装置は一点鎖線で書かれている。秋月竣工直後に赴任した元技術大尉は「写図に実線で描かれていないのなら完成時に装備されていなかったことを示すもので、写図に誤りがあるとは考えられない」と語っている。 以上により、艦橋上の1基しかなく同時に2機の目標に照準を合わせることは不可能だったとしている。また別の記録として宇垣纏連合艦隊参謀長の「戦藻録」では、9月29日に秋月がブカ島でB-17爆撃機2機と交戦、1機を撃墜し「防空駆逐艦の価値を始めて発揮せり」と記述している。 そのためアメリカ軍は秋月型には不用意に近づかないよう警告を発した。 このことについて田村は同じく調査の中で、 基となるアメリカ側資料が自力調査しても全く見当たらず、海外の友人に協力してもらっているがそれでも見つからないこと。 同じように警告に関する通説も海外の文献に登場しないこと。 以上から「通説は日本のみで言われていることではないか」と推測している。 「警報を発した」説は、福井静夫が雑誌「丸」昭和46年12月号に寄稿した記事にある。この記事において福井は「ソロモン海域に新鋭艦が出現したという警報は、ただちに全軍にたっせられたらしい。」と、あくまでも伝聞として記述している。
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