秋月での反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:41 UTC 版)
六郎の仇討ち成就は叔父・上野月下から飛脚によって秋月に知らされた。80歳を越えた祖父・儀左衛門は喜びのあまり裏の竹垣を押し破って隣家の白石宅に知らせたという。その時の思いを和歌に託し、山岡鉄舟への感謝を織り込んだ。 きょうという 今日は雲霧はれ尽し 富士の高根を見る心地なり 老いぬれど もののふ目に何事ぞ ふりみふらずみ うち時雨つゝ 羽根を 空より降(くだ)し 玉(たま)ひしは 雲の上人ならざらめやは 山につみ 岡に手打(たおり)し 木のは衣(ぎぬ) こは仙(そまびと)や恵み玉(たま)ひし 祖父だけでなく、親族や臼井家に同情を寄せる人々は皆、六郎の仇討ちを喜んだ。 六郎の仇討ちの報が伝わると、秋月ではそれまでと打って変わり、一瀬や萩谷を見る目が冷たくなった。一瀬の父・亀右衛門は六郎が石川島の獄に繋がれた事を知ると、自殺した。母の仇の萩谷伝之進(萩谷静夫)は六郎が一瀬を討った事を知ると、精神に異常をきたし、「六郎が来る、六郎が来る」と叫びながら狂死した。
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