福岡レッドファルコンズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:16 UTC 版)
「ライジングゼファーフクオカ」の記事における「福岡レッドファルコンズ」の解説
2005年、新潟アルビレックスのJBLスーパーリーグ脱退に伴い、福岡県からIT企業のインテントが中心となって地域密着型クラブチーム「福岡レッドファルコンズ」を設立、2005-06シーズンからJBLスーパーリーグに新規参入した。福岡は高校以下のジュニア世代や社会人のあらゆるカテゴリーにおいて全国優勝を手にしている「バスケット王国」であり、このことがプロチーム発足へと繋がった。九州からのトップリーグ参加は日本リーグ黎明期の八幡製鉄所以来となる。「レッドファルコンズ」とは「赤いハヤブサ」と言う意味で、同じ福岡をホームとするプロスポーツチームの福岡ソフトバンクホークス(野球・ホークス = 鷹)やアビスパ福岡(サッカー・アビスパ = 蜂)からヒントを得て名づけられた。鹿児島県を本拠地とするクラブチームであるレノヴァ鹿児島(現鹿児島レブナイズ)のチーム愛称候補には「鹿児島レッドファルコン」というものもあった。 練習拠点は福岡県宗像市のグローバルアリーナ。元日本代表の庄司和広らを移籍獲得。外国人2名と新人を合わせ選手全員とプロ契約を結んだ。ヘッドコーチには地元出身の後藤敏博が就任したが、開幕前に原田茂に交代した。 しかし、母体企業の経営不振に加え地元スポンサーの獲得が難航。選手・スタッフの給与未払いや2000万円の使途不明金も発覚し、経営不安が表面化。社長の自殺未遂にまで及ぶ事態となった。そのため、全日本総合バスケットボール選手権大会(オールジャパン)には選手・スタッフの自費で参加。 2006年1月19日、スーパーリーグ後半戦の不参加を表明するとともに、バスケットボール日本リーグ機構 (JBL) 脱退の意向を示した。結果的にスーパーリーグは14戦全敗、公式戦もオールジャパンにおける(当時3年生の竹内公輔を擁した)慶大との1回戦での1勝のみでチームは解散。JBLは特例による選手のJBLチームへの受け入れを表明。また、bjリーグもアーリーチャレンジ選手制度を設けて選手の救済に当たった。 新会社は船田幸夫社長代行と知人を介して面識のあった木村育生が社長を務めるインボイスに支援を求め、木村が会長を務めるbjリーグに転籍を表明、2006-07シーズン以降の参入を目指したが、「(旧社の)債務がありすぎ、道義的な部分で会社を人任せにはできなかった」(船田社長代行)との理由から、2006年2月10日付けでbjリーグへの参入願を取り下げた。 福岡レッドファルコンズに所属した選手 3 根間洋一 5 佐藤信長 6 小野壮二郎 7 高原純平 8 上山博之 10 庄司和広 11 川面剛 13 城間修平 14 セドリック・ピープルズ 15 堀田剛司 25 竹田謙 40 田中健 44 ピーター・コーネル
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