神棚の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/16 19:00 UTC 版)
神を祀る棚を設けた最古の記述は『古事記』にある。すなわち「天照大神が高天原を統治することになった時、伊弉諾尊の御頸珠を御倉板挙之神として棚に奉斎した」とある。 陰陽道の最盛期といわれる平安時代中期頃から、病気や疾病、地震、火災、天災など、それらを神の祟りが起こすものと考えられ、祟りを起こす神の存在を鬼に例えて恐れたといわれる。鎌倉時代前期に著された「陰陽道旧記抄」に「竈、門、井、厠、者家神也云々」とあり、井戸、竈、厠など、病気に直結する場所を神格化させて、諸々の宅神から祟りをうけぬよう祭祀を行っており、竈神、門神、井戸神、厠神など、様々な場所の神を宅神とした崇めていた歴史がある。また、宮城を造営する際、君主が世界を支配するために天(神)と繋がる中心点が重要であるとして太極殿を建て、代表的なものに、平安神宮外拝殿があるが、建物の太極(中心点)が、万物の根源、陰陽の根源とつながるものと考えられ、万物には当然のごとく神が宿ることから、そこに建てる重要な柱を太極柱と呼ぶことになる。地方によっては、大国主の神をお祀りすることから大黒柱ともいい、太い柱を大黒柱と一概にいうわけではない。伊勢神宮正殿に見られる心御柱(しんのみはしら)も、日本の神が、木や柱を依り代(よりしろ)とするため、神が依り憑く神籬 (ひもろぎ)としているため、古来は神棚ではなく、家の中心とする柱やそれぞれの場所(井戸、厠、門、竈)に手を合わせ現代の神棚のように崇めていた。 神棚が日本の歴史に登場するのは、近世江戸時代中期頃である。もともと神道では神とは常在のものでは無く、人が祀る時に初めて現れるものとされる為、神の常在を前提とした神棚の成立はそう古いものでは無く、古代日本には神棚は存在しない。なお、『神道大辞典』では「鎌倉時代から室町時代初期(中世)にかけて伊勢両宮の神官等が神符を各地に配布する頃に神棚が誕生した」と説明している。
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