神戸モロゾフ製菓株式会社設立に関与するも、袂を分かつとは? わかりやすく解説

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神戸モロゾフ製菓株式会社設立に関与するも、袂を分かつ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 06:47 UTC 版)

フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ」の記事における「神戸モロゾフ製菓株式会社設立に関与するも、袂を分かつ」の解説

ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ」も参照 1931年6月事業拡大目指し出資者探していたフョードル神戸商工会議所理事福本義亮の紹介で、材木会社専務葛野協力を得ることになった葛野フョードル親子持っていた設備買い取り神戸モロゾフ製菓株式会社(後のモロゾフ株式会社)を設立代表取締役葛野務めフョードル取締役就任。子のヴァレンティン菓子職人として同社勤務することになった会社経営は順調で、設立2年目には3500円あまりの黒字出した1933年頃から葛野の関係が悪化会社経営方針巡って対立するようになり、遂に法的紛争発展した1936年6月調停成立調停条件中には1941年6月10日までの間、フョードル親子が「モロゾフ」と読みえる商号使用して菓子販売をすることや神戸モロゾフ製菓同様の事業をすることができないというものが含まれていた。なお調停成立前福本義亮はモロゾフ親子神戸商工会議所理事長室に呼び出し調停取り下げ応じる旨の書類サインするよう迫り親子がこれを拒むと以下のように告げた。 あんた方、こんな帝国の日本に住め有難いじゃないですか。ロシアにいたら殺されてる。いいですか、白系ロシア人なんだから、おとなしくしていたほうがいい。 — 川又1984129頁。 神戸モロゾフ製菓株式会社発足から紛争が起こるまでの間に、葛野槌の子・友太郎福本義亮の娘が結婚し葛野福本の間に縁戚関係成立していた。 紛争後フョードルには洋菓子製造業続け意思はなく、紅茶輸入販売業手掛けるようになった洋菓子製造業は子のヴァレンティン引き継ぎ太平洋戦争終戦後コスモポリタン製菓を設立した。 60歳超えた頃に商売をやめ、回想録執筆するようになった。このフョードルはこの回想録一般に公開する意思持っていなかったが、後に西ドイツ出版された(英題は『A Legacy to My Heirs』)。この回想録は英語およびロシア語からなり、常に裏切られる険のある他人よりも家族・親戚重視すること、海外教育を受けることの重要性商取引における誠実さ謙虚さなどを説いている。 1971年死去。墓は兵庫県神戸市北区神戸市立外国人墓地にある。

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