コスモポリタン製菓を設立
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「ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ」の記事における「コスモポリタン製菓を設立」の解説
終戦直後の1945年10月、モロゾフは交流のあった兵庫県庁職員の助力を得て国鉄高架下の営業スペースと砂糖を確保。新たに菓子店「コスモポリタン」(後のコスモポリタン製菓)を開いた。 モロゾフはかつてドイツ人の菓子職人カール・ユーハイムが所有していた三宮の工場を借り(工場の内部は空襲で焼けたが、鉄筋コンクリート製の建物自体は無事であった)、神戸在住の外国人向けの配給用のパンと「コスモポリタン」で売る菓子を焼いた。配給用のパンの製造は経済的な恩恵をもたらし、1950年までに大阪と東京に「コスモポリタン」の支店を出すことに成功した。1947年には神戸市長の小寺謙吉から依頼を受け、昭和天皇に献上するチョコレートを作った。 モロゾフは菓子職人としてチョコレート菓子作りに強い関心を抱いていた。コスモポリタン製菓を設立した当初、物資が不足していた日本ではチョコレートを作る原料が手に入らなかったため、モロゾフは再び戦前のようにチョコレート菓子を作る日が来ることを夢見つつ、パンやケーキなどを作る日々を送った。戦後の復興とともにモロゾフの願いはかない、やがてコスモポリタン製菓の売上の7割をチョコレート菓子が占めるようになった。 モロゾフは1999年1月23日に没した。死後コスモポリタン製菓の経営は長男のヴァレンティン・ヴァレンティノヴィチ・モロゾフに引き継がれたが2006年8月、業績不振を理由に自主廃業した。
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