社長プロレスラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 04:25 UTC 版)
プロレス団体・興行会社における特徴の1つとして現役レスラーまたは引退したレスラーがプロレス団体を運営する会社を設立しその社長業を兼務するというものがある。日本でもプロレス団体運営システムの始祖である力道山からこの形式は始まっており、日本プロレスから、さらに派生した新日本プロレス、全日本プロレス(2019年7月現在はいずれも後述する「背広組」の経営)もこの形式を踏襲したほか、2019年現在もWRESTLE-1、DDTプロレスリングなど、この形式を取る団体は少なくない。 女子プロレスでもLLPW-X、センダイガールズプロレスリング、OZアカデミー女子プロレス、ワールド女子プロレス・ディアナ、プロレスリングWAVEが該当する。 引退したプロレスラーが社長を務めるプロレス団体としては過去には国際プロレスなど、2019年現在はPURE-Jなどがある(PURE-Jについては現役から継続)が、これは主演スターが座長も兼ねる劇団の世界に近い形態といえる。 興行の現場を知るものが社長業を行うことで、現場(レスラー)との乖離を避けることが出来たり、スポンサーとの営業活動などに利点がある。 しかし、ワンマン体制や血縁、同族企業になりがちとされ、また、プロレスの試合におけるセンスと経営の能力は別物であるため、経営を手助けする優秀なブレーンとなる存在が無ければ維持することは難しい。さらに、特に主力選手が社長を務めるケースにおいて、プロレスラーとしてのコンディション維持に必要なトレーニング、休息、リハビリなどの時間の確保が困難になり、三沢光晴の死亡事故を機に問題視する声も出ている。 これに対して選手出身ではない者(「背広組」と呼ばれる)が社長や経営幹部を務める場合は、経営と現場を分離できるものの、両者の間に軋轢が生まれて分裂、活動を停止するケースも存在する。さらにプロレスラー出身のトップから交代した場合、絶対的な影響力を持つ社長プロレスラーの退陣によって(プロレスラー、背広組問わず)後任者が選手やフロントをまとめきれず瓦解するケースも少なくない。 このためJWP女子プロレスのように背広組社長は会社経営に専念して、現場にかかる業務のほとんどを選手に委ねるプロレス団体も存在する。 一方で「背広組の社長がプロレスラーになる」ケースもある。WWEでは会長であるビンス・マクマホンが(時期によるが)自ら試合に出る。彼は「背広組」であるが、これは演出の必要上もあるが、レスラーとしての出場例である。また、FMW社長の荒井昌一はプロレスラーとしての訓練は積んでいなかったが、演出としてリングでプロレスラーとの乱闘を演じたことがある。I.W.A.JAPAN社長の浅野起州も元はプロモーター出身の背広組だが、2000年の「プロレスラーデビュー」以後時折試合に出ていた。ハッスルMAN'Sワールド最高経営責任者の草間政一の場合は、レスリング経験者ということもあり、2010年に「プロレスラーデビュー」して勝利を収めた。
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