研究書などでの表記
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1956年の『世界歴史事典』、1961年の『アジア歴史事典』では「南京事件」で立項している。 1966年には五島広作と下野一霍の共著『南京作戦の真相』(東京情報社)が、1967年には洞富雄が『近代戦史の謎』(人物往来社)が、1968年には家永三郎が『太平洋戦争』(岩波書店)で「南京大虐殺」と記述した。 1971年7月の参議院で西村関一が「南京虐殺事件」「南京大虐殺事件」と述べた。 1971年8月末から朝日新聞で連載「中国の旅」を開始した本多勝一は南京事件、南京大虐殺、南京大暴虐事件と表記。洞富雄は本多勝一が『中国の旅』で中国語の「大屠殺」を翻訳したのが「大虐殺」の初出ではないかとする。雑誌潮1971年8月号で「南京大虐殺」を使用[要ページ番号]。 1972年4月に鈴木明が「諸君!」に「『南京大虐殺』のまぼろし」を発表し論争が開始されるとともに「南京大虐殺」がマスコミ報道されるようになった。 歴史学者の洞富雄は1972年に『南京事件』を刊後、鈴木明への反駁として1975年に『南京大虐殺--「まぼろし」化工作批判』を刊行し、以降、著書名でも「南京大虐殺」を使用する。なお洞は「大虐殺」という表現は好まないが版元の要請に応じたと述べている。また洞が編集した『日中戦争史資料8』は、1973年版では「南京事件」が使用されていたが、1985年青木書店の再刊では『南京大残虐事件資料集』と改題された。一方で藤原彰や本多勝一との共著では1987年の著書名に「南京事件」を使用し、虐殺派の研究会は「南京事件調査研究会」と呼称した。 秦郁彦は「虐殺」に括弧を使用したり、また笠原十九司は「南京事件は南京大虐殺事件の略称」とし、著書名でも「南京事件」を使用する。 2010年の日中歴史共同研究においては、両国委員による自国語論文(報告書)では、日本語論文で「南京虐殺事件」、中国語論文で「南京大屠杀」の表記をそれぞれ使用した。両国論文(報告書)の翻訳版では、日本語論文翻訳版(中国語論文の日本語訳)で「南京大虐殺」、中国語論文翻訳版(日本語論文の中国語訳)で「南京虐杀事件」と「南京大屠杀」、英語翻訳版(日本語論文の英訳)で「Nanjing Massacre」の表記をそれぞれ使用した。
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