研究書などでの表記とは? わかりやすく解説

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研究書などでの表記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:19 UTC 版)

南京事件」の記事における「研究書などでの表記」の解説

1956年の『世界歴史事典』、1961年の『アジア歴史事典』では「南京事件」で立項している。 1966年には五島広作と下野一霍共著南京作戦真相』(東京情報社)が、1967年には洞富雄が『近代戦史の謎』(人物往来社)が、1968年には家永三郎が『太平洋戦争』(岩波書店)で「南京大虐殺」と記述した1971年7月参議院西村関一が「南京虐殺事件」「南京大虐殺事件」と述べた1971年8月末から朝日新聞連載中国の旅」を開始した本多勝一南京事件南京大虐殺南京暴虐事件表記洞富雄本多勝一が『中国の旅』で中国語の「大屠殺」を翻訳したのが「大虐殺」の初出ではないかとする。雑誌1971年8月号で「南京大虐殺」を使用[要ページ番号]。 1972年4月鈴木明が「諸君!」に「『南京大虐殺』のまぼろし」を発表し論争開始されるとともに南京大虐殺」がマスコミ報道されるようになった歴史学者洞富雄1972年に『南京事件』を刊後、鈴木明への反駁として1975年に『南京大虐殺--「まぼろし」化工作批判』を刊行し以降著書名でも「南京大虐殺」を使用する。なお洞は「大虐殺」という表現好まない版元要請応じた述べている。また洞が編集した日中戦争史資料8』は、1973年版では「南京事件」が使用されていたが、1985年青木書店再刊では『南京残虐事件資料集』と改題された。一方で藤原彰本多勝一との共著では1987年著書名に「南京事件」を使用し虐殺派の研究会は「南京事件調査研究会」と呼称した。 秦郁彦は「虐殺」に括弧使用したり、また笠原十九司は「南京事件南京大虐殺事件の略称」とし、著書名でも「南京事件」を使用する2010年日中歴史共同研究においては両国委員による自国語論文(報告書)では、日本語論文で「南京虐殺事件」、中国語論文で「南京大屠杀」の表記それぞれ使用した両国論文報告書)の翻訳版では、日本語論文翻訳版(中国語論文の日本語訳)で「南京大虐殺」、中国語論文翻訳版(日本語論文中国語訳)で「南京虐杀事件」と「南京大屠杀」、英語翻訳版(日本語論文英訳)で「Nanjing Massacre」の表記それぞれ使用した

※この「研究書などでの表記」の解説は、「南京事件」の解説の一部です。
「研究書などでの表記」を含む「南京事件」の記事については、「南京事件」の概要を参照ください。

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