石製の建築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 15:39 UTC 版)
フィンランドにおける最初期の石製の建築は中世の城塞や教会に限られていた。そのうち、築城はスウェーデン王による守備と行政の中心地を築く計画の一環として行われ、13世紀後半以降の重要な城塞では合計で6城が築かれた。この6城とはオーランド諸島のカステルホルム城(英語版)、南西スオミのトゥルク城とローセボリ城、南東部のヴィボルグ城(英語版)(現ロシア領)、そして内陸のハメ城とオラヴィンリンナ(英語版)(「オーラヴの城」の意味)である。一方、フィンランドの城で最北部にあるカヤーニ城(英語版)、クーシスト島(英語版)のクーシスト城(英語版)、西部海岸のコルスホルマ城(英語版)はいずれも17世紀初に築かれたものである。初期の築城は重厚な花崗岩が特徴だったが、以降は細部がより洗練されるようになった。戦略上ではトゥルク城とヴィボルグ城が最も重要であり、中世フィンランドにおける3つの「封城」も1360年代までトゥルク城、ハメ城、ヴィボルグ城から統治された。トゥルク城は14世紀まで北ヨーロッパ最大規模の城塞であり、部屋が40以上あり、16世紀中期までに砲火にも耐えられるようさらなる改築が施された。ヴィボルグ城は1293年にスウェーデン王国軍政総監(英語版)トルケル・クヌートソン(英語版)の命令で築城が始められ、オラヴィンリンナは1475年にデンマーク生まれの騎士でスウェーデンのヴィボルグ総督だったエリク・アクセルソン・トット(英語版)が東のノヴゴロド公国からの守備に備えて築かれた。アクセルソン自身の記述によると、ヴィボルグ城は16人の外国人石工によって築かれ、その一部がタリン出身だったという。ヴィボルグ城はハウキヴェシ湖(英語版)とピヒラヤヴェシ湖(英語版)の間にある島に築かれ、3つの大きな塔が一直線に並ぶ形となっており、1960年代から1970年代に修復工事が行われたため現代でもよく保存されている。一方、ハメ城は最初は木造だったが、後に石造で再建され、さらに14世紀には赤レンガで改修されるというフィンランドでも稀な構造であり、この改修のときにはレンガ造の防御線が増築された。ハメ城は19世紀に建築家カール・ルートヴィヒ・エンゲル(英語版)の設計で刑務所として改造された。 フィンランドにおける伝統的な中世石造建築は木造の建築から増築された石造教会73軒と石造聖具室9軒という形でも保存されており、最古の石造教会は1260年から1280年頃に完成したオーランド諸島ヨマラ(英語版)の聖オーロフ教会(英語版)とされる。フィンランドの石造教会は巨大な壁と屋内に内部空間が1つだけという2点を特徴としており、窓などの細かい箇所(特に切り妻壁において)では赤レンガの装飾が施されることがあり、一例としては1454年に築かれたシポーの旧教会が挙げられる。例外ではトゥルク聖堂があり、トゥルク聖堂は13世紀末に木造教会として築かれた後、14世紀と15世紀に石とレンガで増築され、1827年のトゥルク大火(英語版)で大きな損害を受けてレンガで再建された。 トゥルク城、13世紀の建築、1934年の写真 ヴィボルグ城(英語版)、13世紀の建築、1840年の絵画 オラヴィンリンナ、1475年の建築 17世紀末から18世紀初のハメ城 シポー旧教会、1454年の建築 テュルヴァーの聖オーラヴ教会(英語版)、1516年頃の建築
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