登録推薦を巡る動きとは? わかりやすく解説

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登録・推薦を巡る動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 18:49 UTC 版)

武家の古都・鎌倉」の記事における「登録・推薦を巡る動き」の解説

日本世界遺産条約批准した1992年に、暫定リスト登録され12件(文化遺産10件、自然遺産2件)のうちの一つである。同じ年に登録され古都京都の文化財日光の社寺1995年暫定リスト追加され原爆ドーム2001年暫定リスト追加され紀伊山地の霊場と参詣道平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―などが次々と正式登録されていく中で、鎌倉世界遺産委員会推薦されことはなかった。「武家の都」という点は奈良・京都などと差別化図りうるものではあるが、構成資産神社、寺院主体とし、鎌倉幕府政治的建造物がほとんど残っていない点などを理由として、推薦され場合苦戦予想する意見見られた。 鎌倉市には2001年に「鎌倉市歴史遺産検討委員会」が設置され2007年には「神奈川県・横浜市鎌倉市逗子市世界遺産登録推進委員会」が共同設置されるなど、世界遺産登録実現向けて、市や県のレベル具体化動き進められてきた。一方2007年11月神奈川県から派遣され鎌倉市職員世界遺産登録にむけた動きの中で、公文書偽造事件起こしたこともあった。 文化審議会2011年2月提出され報告書では、2011年9月推薦目指すタイムスケジュール示されており、実際に2013年の登録を目指し富士山とともに推薦されることになった。 それを踏まえて実際に2012年1月推薦書世界遺産センター提出され同年9月24日から27日諮問機関であるICOMOS調査団訪れた。その調査踏まえた勧告2013年4月30日示され、「不登録」と判断された。日本単独推薦した資産で「不登録」勧告受けた例は初めてである(複数国推薦ではル・コルビュジエ建築作品近代建築運動への顕著な貢献―の例がある)。ICOMOSが不登録とした理由は、当時都市計画経済生活などを示す資産含まれておらず、完全性条件満たされていないため、基準 (3) についても基準 (4) についても、証明ができていない判定されことによる。 この勧告受けて日本関係省庁連絡会議では同年6月4日付けで、世界遺産委員会への推薦取り下げ正式決定した。これは、再推薦不可能になる委員会での「不登録」決議回避し抜本的な推薦文書の練り直し踏まえて推薦したいとする地元自治体などの意向踏まえたのである世界遺産推薦取り下げを受け、その支援事業として『日本遺産制度』が創設され2016年平成28年)に「”いざ、鎌倉” ~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~」として認定された。 不登録勧告内容是正するためのコンセプト修正には相当な時間要するため、2019年令和元年11月神奈川県鎌倉市横浜市逗子市文化庁提出する世界遺産推薦書原案)の作成活動同年限り休止する発表した規模縮小する基礎研究文化財調査および整備事業継続され世界遺産登録諦めない方針明らかにされた。

※この「登録・推薦を巡る動き」の解説は、「武家の古都・鎌倉」の解説の一部です。
「登録・推薦を巡る動き」を含む「武家の古都・鎌倉」の記事については、「武家の古都・鎌倉」の概要を参照ください。

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