登山家としての経歴
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「イニャキ・オチョア」の記事における「登山家としての経歴」の解説
1967年5月29日、ナバーラ県パンプローナに生まれた。22歳だった1990年に、初の8,000m峰となるカンチェンジュンガの登頂に成功したとする記事がある。異なる記事では、1993年のチョ・オユー(8,201m)が登頂に成功した初の8,000m峰とされる。2001年にはエベレスト(8,848m)の登頂に成功し、8,000m峰5座目を制覇した。オチョアは高地山岳ガイドや山岳カメラマンとしても働いた。2004年までは南アメリカのアコンカグアの世界最短時間登頂記録を保持しており、2005年にはシシャパンマの新ルートをソロで登ることに成功した。オチョアはその生涯で30回を超えるヒマラヤ山脈への山岳遠征に参加し、また山岳ガイドとして200回を超える山岳遠征に参加した。2006年にはマナスル(8,163m)の登頂に成功し、8,000m峰10座目を制覇した。2008年までに、酸素や酸素タンクの助けを借りずに8,000m峰全14座のうち12座に登頂し、チョ・オユー(8,201m)には2度登頂した。オチョアは登山への酸素の使用を信じていなかったと語っており、「もし君が酸素を使うなら、君はアルピニストではなく、宇宙飛行士かスキューバダイバーに近いだろう」と述べている。2008年までに、ヒマラヤ山脈の山の登頂に30回、8,000m級の山の登頂に15回挑戦し、8,000m級の24時間登頂を成功させたこともあった。
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登山家としての経歴
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「平井一正 (工学者)」の記事における「登山家としての経歴」の解説
1950年、京都大学に入学してすぐに山岳部に入部して活動し、また、今西錦司、梅棹忠夫らの薫陶を受ける。 1958年、京都大学学士山岳会 (AACK) 隊(京大隊:隊長・桑原武夫)に隊員として参加し、チョゴリザ北東峰(7,654m)の初登頂者となる。 1962年、AACKの遠征に隊員として参加し、サルトロカンリ (7,742m) の初登頂を成功させる。 1976年、神戸大学の第二次カラコルム遠征隊隊長として、シェルピカンリ (7,380m) の初登頂を成功させ、周辺地域の学術調査も実施した。 1980年に神戸大学工学部学術訪中団の一員として中国を訪問した際に中国登山協会と接触し、以降、訪中を重ね、中国語を学び、クーラカンリの登山許可を得た。 1986年、神戸大学隊を中心とした日中合同隊に、神戸大学隊総隊長として参加し、クーラカンリ主峰(7,554m)の初登頂を成功させる 2003年、ルオニイ(英語版)(6,805m)に登頂を目指した神戸大学隊隊長を務めた。この隊は悪天候に阻まれ、登頂は断念している。 京都大学学士山岳会会員、日本山岳会会員、神戸大学山岳会会員、甲南山岳会名誉会員。
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