番頭(侍大将)・200石級家臣
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「小諸藩牧野氏の家臣団」の記事における「番頭(侍大将)・200石級家臣」の解説
小諸藩の番頭は、足軽番頭(=足軽を支配する番頭)であるとしている著述も存在するが、時代により変遷があるため、各種著述物の説明に混乱がみられる。与板立藩当初は、番頭は足軽組の総支配を行っていた。その後、歩行頭(御徒士頭=おかちがしら)たる番頭と、足軽組総支配たる番頭に分かれた。番頭が足軽組の総支配だけを行っていたときは、別個の役職として歩行頭が存在していた。徒士を支配する番頭と歩行頭は、実質的に同じ役職であったかについては、詳細の記述は省略するが、番頭のほうがその職権が、若干大きかった。 小諸入封後における番頭の職権は、銃士隊を含む徒士組を支配していた(藩主の行列・行軍時の前衛歩兵隊、及び藩主外出時の先遣歩兵隊に相当する士(小十人の士)を配下にしていた)。本陣備えの銃士隊長は番頭の職務である。ただし、小十人という役職が、小諸藩では設置されていたことは確認ができない。小さな藩であったため、小十人組頭に相当する役職は、番頭の職権に含まれ、小十人の士に相当する役職は、徒士や徒目付の中で、序列が高い者や、年功者が配属されていたとみられる。徒目付は、いわば徒士主任である場合と、大目付・中目付の配下であった時期があったようである。徒目付は、役職名であり、徒目付連綿という家柄・格式は、小諸藩には存在しなかった。徒目付が領内や、藩主外出先の情報収集や、諜報活動を行っていたかについては不詳。 玄関番は、番頭(時代によっては歩行頭)に支配された徒士が担当した。進物を受け取るのは、玄関番の仕事であるが、徒目付の職域に属した。物資の運び込みは、玄関・勝手口までは中間組、それより中は、城中に入れる格式・家柄を持つ一部、足軽の職務である。検品については、大目付・目付・処刑制度の項目を参照のこと。進物を藩主の面前で披露するのは、徒士を支配する番頭や、藩主牧野氏の進物授受を管理する側用人ではなく、取次(奏者)であった。進物は、側用人がその記録を管理して、各種物品は、小納戸によって在庫されたり、適宜各所(例えば料理方)に引き渡された。 職制に、足軽組を総支配する物頭支配が誕生してからは、足軽組総支配を行う番頭は、廃止された。足軽組を総支配する番頭は、士分である物頭を配下に持ったが、侍大将と呼ぶには、やや無理があることは、言うまでもない。 本藩である長岡藩の番頭は、番方(警備・軍事)部門のお目見得以上の士分が、藩主に奏上するときに、その取次権を持っていたが、小諸藩では加判の資格を有する用人が、番方・役方問わず諸届けを受理し、専決処分を持っていた。執務中の藩主に面会・面談する場合の取次は、取次(奏者)の職務である。
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