男性アイドル事務所として成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:15 UTC 版)
「ジャニー喜多川」の記事における「男性アイドル事務所として成功」の解説
1960年代後半~1970年代 日本の芸能プロの草分けともいえる渡辺晋とほぼ同世代であるが、活動の開始は大きく出遅れたこともあり、先行する大手プロダクション群を凌駕し始めたのは1980年代に突入してからである。ジャニーズ事務所の始まりは、事務所黎明期である1967年デビューの「フォーリーブス」、1971年デビューの「郷ひろみ」らに始まる。 1980年代 1980年代には、「たのきんトリオ」・「シブがき隊」・「少年隊」などの3人組アイドルを成功させた。当時としては大きな人気を得ていたものの、彼らのグループ活動はわずか数年に終わり、メンバーの多くはソロ活動に移行していった。 さらに1987年には、7人組のアイドルグループ「光GENJI」をデビューさせた。光GENJIはローラースケートで踊りながらアクロバティックなライブを行うという、これまでにない革新的なアイドルグループとして注目され、非常に大きな成功を収めたものの活動期間は8年と、アイドルとしてはやや短命に終わった。 光GENJIが短命に終わった理由としては、「社会現象になるほど歌が爆発的に売れすぎて、仕事に奔走することになったこと」、「歌番組中心のためメンバー全員で出演する必要があり、休暇が取れずにストレスや疲労が多かったこと」、「トークや演技などの実力を磨く暇がなく、バラエティー番組やドラマなどで活躍できなかったこと」、「歌番組が消えて音楽バラエティーが主流となったこと」、「ツッコミ役・イジラレ役などの個性をもったメンバーがいなかったこと」などが挙げられている。 1990年代 1990年代には、「SMAP」を個性的なマルチタレント型グループとしてデビューさせた。SMAPは当初は光GENJIのような歌をメインにしたアイドルグループを目指していたが、デビュー後の1993年頃までは人気が出なかった事から、バラエティー番組と両立するスタイルを模索していった。 SMAPは既存の失敗を踏まえた上で、光GENJIの路線からさらにグループ性を発展させた路線へと展開し、ライブだけでなくバラエティー番組でも活躍できるアイドルとして注目を集め、個性的なメンバー達の掛け合いにスポットを当てることに注力し、かつ短命に終わらない持続性をもったグループとして大きな成功を勝ち取った。 SMAPのデビュー後にも、バンド形式の「TOKIO」、年齢差のある個性派アイドル集団「V6」、関西系の二人組ユニット「KinKi Kids」、王道的アイドルを目指す「嵐」らが次々にデビューし、SMAPに続くバラエティー番組でも活躍できるアイドルグループとして、着実に成功を収めていった。 2000年代 2000年代には、Kinki Kidsに続く二人組ユニット「タッキー&翼」、V6や嵐に続くワールドカップバレーのイメージキャラクターとしてデビューした「NEWS」、関西出身者だけで構成される「関ジャニ∞」、ジャニーズ異色のワイルドグループ「KAT-TUN」、メンバー全員が平成生まれの「Hey! Say! JUMP」など、個性的なグループを続々とデビューさせた。 2010年代 2010年代には、少年隊以来の3人組ユニット「NYC」、光GENJIを彷彿させるローラースケートを武器にした「Kis-My-Ft2」、嵐以来の5人組グループの「Sexy Zone」、ジャニーズ初のDVDデビューをした「A.B.C-Z」、V6同様に年齢差のある「ジャニーズWEST」、ジャニー喜多川にとって生涯最後のデビュープロデュースとなった「King & Prince」など、これまでの成功事例を取り入れる形で、所属タレントの活躍の場を広げていき、男性アイドルの礎を築いた。
※この「男性アイドル事務所として成功」の解説は、「ジャニー喜多川」の解説の一部です。
「男性アイドル事務所として成功」を含む「ジャニー喜多川」の記事については、「ジャニー喜多川」の概要を参照ください。
- 男性アイドル事務所として成功のページへのリンク