生涯とエスペラント活動
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1913年 - 誕生。 1930年ころ - プロレタリア短歌を発表。 1933年12月15日 - エスペラント学習を開始。 1944年–1946年 - 応召した沖縄で従軍、アメリカ軍に投降、捕虜となる。 1951年 - 関西エスペラント連盟(KLEG)が設置され、大阪市内に事務所を置いたのに従い、同事務局の専従となる。 1956年–1960年 - "Prometeo"という全文エスペラントの文芸誌の中心人物となる。 1965年 - 世界エスペラント協会(UEA)の第50回世界エスペラント大会時の文芸コンクールのエスペラント原作誌部門で1位入賞。 1966年 - 「俳人クラブ」と訳される「ハイキスタ・クルーボ(エスペラント語版)」(Hajkista Klubo) を上山政夫、田中貞美(エスペラント語版)らと始める。 1966年–1970年 - ベトナム平和エスペラントセンターを小西岳、斉藤英三(エスペラント語版)らと主宰し、機関誌"Pacon en Vjetnamio"を刊行。 1973年 - 関西エスペラント連盟事務局長を引退、顧問となる。引き続き同事務所で専従作業を続ける。 1973年–1983年 - 財団法人日本エスペラント学会より委嘱され、『日本語エスペラント辞典』の編集に携わる。発刊後、同学会の「学術功労賞」を受賞。 1975年 - 神戸市外国語大学の非常勤講師となり、外国語研究所の研究プロジェクトに参画。同大学の貫名美隆らと国際語論を研究。 1986年 - 「エスペラント語学院(アカデミーオ・デ・エスペラント」会員に選出される。 1989年 - 病没。
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