生い立ちと少年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:33 UTC 版)
「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」の記事における「生い立ちと少年期」の解説
1749年8月28日、自由帝国都市であったフランクフルト・アム・マインの裕福な家庭にヨハン・ヴォルフガング・ゲーテとして生まれる。父方の家系はもとは蹄鉄工を家業としていたが、ゲーテの祖父にあたるフリードリヒ・ゲオルク・ゲーテはフランスで仕立て職人としての修業を積んだ後、フランクフルトで旅館経営と葡萄酒の取引で成功し大きな財を成した。その次男であるヨハン・カスパーがゲーテの父にあたる。彼は大学を出たのちにフランクフルト市の要職を志したがうまく行かず、枢密顧問官の称号を買い取った後は職に就かず文物の蒐集に没頭していた。母エリーザベトの実家テクストーア家は代々法律家を務める声望ある家系であり、母方の祖父は自由都市フランクフルトの最高の地位である市長も務めた。ゲーテは長男であり、ゲーテの生誕した翌年に妹のコルネーリアが生まれている。その後さらに3人の子供が生まれているがみな夭折し、ゲーテは2人兄妹で育った。ゲーテ家は明るい家庭的な雰囲気であり、少年時代のゲーテも裕福かつ快濶な生活を送った。当時のフランクフルトの多くの家庭と同じく宗派はプロテスタントであった。 父は子供たちの教育に関心を持ち、幼児のときから熱心に育てた。ゲーテは3歳の時に私立の幼稚園に入れられ、読み書きや算数などの初等教育を受けた。5歳から寄宿制の初等学校に通うが、7歳のとき天然痘にかかって実家に戻り、以後は父が家庭教師を呼んで語学や図画、乗馬、カリグラフィー、演奏、ダンスなどを学ばせた。ゲーテは語学に長けており、少年時代にはすでに英語、フランス語、イタリア語、ラテン語、ギリシア語、ヘブライ語を習得している。少年時代のゲーテは読書を好み、『テレマック』や『ロビンソン・クルーソー』などの物語を始め手当たり次第に書物を読んだ(その中には『ファウスト』の民衆本も含まれる)。詩作が評判であったのも幼少の頃からであり、最も古いものではゲーテが8歳の時、母方の祖父母に宛てて書いた新年の挨拶の詩が残っている。 14歳の時、ゲーテは近所の料理屋の娘の親戚でグレートヒェンという年上の娘に初恋をするも、失恋に終わる。なおこのグレートヒェンの名前はゲーテの代表作『ファウスト』の第一部のヒロインの名に取られている。
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