生い立ちと従軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 00:01 UTC 版)
「エーリヒ・マリア・レマルク」の記事における「生い立ちと従軍」の解説
1898年6月22日、ドイツ帝国の構成国であったプロイセン王国ハノーファー地方にあるオスナブリュックに、エーリヒ・パウル・レマルク(Erich Paul Remark)として生まれた。友人のハンス=ゲルト・ラーベ(ドイツ語版)によると、曽祖父のヨハン・アダム・レマルクが、1789年にアーヘンでフランス人の家に生まれたことが判明している。 レマルク家はカトリックを信仰していた。父ペーター・フランツ・レマルク(Peter Franz Remark)は製本を仕事としており、典型的な労働者階級であった。経済的に豊かではなかったものの学業に秀でており、ギムナジウムに進学して勉学に取り組み、また16歳の時から詩作や文芸なども趣味にしていた。在学中に第一次世界大戦が勃発、それから約3年後が経過して18歳になった際に学校の教師に説得され、級友達と共にドイツ帝国軍に志願した。 1917年6月12日、戦争末期の西部戦線に配属されてフランス北部のノール県に送られると、第2予備近衛師団(英語版)に入営した。6月26日、ベルギーのフランデレン地域に展開する第15予備役歩兵連隊第2中隊に配属を命じられ、工兵小隊の一員として塹壕戦を経験した。7月31日、榴弾の破片によって左足、右腕、首に重傷を負い、本国に傷痍軍人として送還された。 1917年8月、パッシェンデールの戦いが起きる中でデュースブルク軍病院で長期間の治療を命じられ、回復を待っていたが1918年11月13日に起きたドイツ革命により戦争は終結した。
※この「生い立ちと従軍」の解説は、「エーリヒ・マリア・レマルク」の解説の一部です。
「生い立ちと従軍」を含む「エーリヒ・マリア・レマルク」の記事については、「エーリヒ・マリア・レマルク」の概要を参照ください。
- 生い立ちと従軍のページへのリンク