生い立ちと政党活動
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「レジェップ・タイイップ・エルドアン」の記事における「生い立ちと政党活動」の解説
イスタンブルのベイオール区カセンパシャ(Kasımpaşa)(トルコ語ではカスムパシャ)に生まれる。 1973年、イマーム・ハティップ高校(イマーム養成学校)卒業後、マルマラ大学経済商業学部入学(卒業記録はなし)。在学中に親イスラム主義政党の国民救済党(MSP:Milli Selamet Partisi)にて政治活動を開始した[要出典]。 1980年の9月12日クーデター後の軍政下で国民救済党が非合法化されると、民政移管後の1983年に後継である福祉党(RP:Refah Partisi)に入党、政治活動を再開する。 1994年3月27日にイスタンブール市長に当選。イスタンブール市長として活動中の1997年に政治集会でイスラーム教を賛美するズィヤ・ギョカルプの詩を朗読したことが宗教感情を利用した「国民の分断」を煽動したとして告発され、1999年3月26日に国家治安法廷(現在は廃止)から刑法第312条2項(国民間の宗教およびレイシズムを扇動)の罪により4年半の実刑判決を受け、憲法第76条により被選挙権を剥奪される。一時服役したが、1999年9月4日に釈放された。 2001年6月22日、福祉党の非党員支持者によって結成された後継政党の美徳党(FP:Fazilet Partisi)が非合法化される。その後、同年8月14日に美徳党の若手議員を中心に結成された公正発展党(AKP:Adalet ve Kalıknma Partisi)において、被選挙権剥奪のまま党首に就任。2002年12月27日、トルコ大国民議会により憲法第76条が改正され(2002年12月13日に憲法改正案を大国民議会が可決するが、2002年12月19日にセゼル大統領は改正案を差し戻した。2002年12月27日に大国民会議が再可決、2002年12月31日、セゼル大統領が国民投票に付託せずに承認。法的な改正日付は2002年12月27日)、被選挙権を回復した。
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