生い立ちと政界での出世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 03:08 UTC 版)
「グリゴリー・ロマノフ」の記事における「生い立ちと政界での出世」の解説
1923年2月7日、ノヴゴロド州の労働者の家庭に生まれる。働きながら高等学校を卒業する。高校卒業とともにソ連軍に入営し、第二次世界大戦に従軍した。戦時中の1944年ソ連共産党に入党する。1953年レニングラード造船大学夜間過程を卒業し、造船技師となる。翌1954年ジダーノフ名称造船所共産党書記に選出される。以後、レニングラードの共産党地区、市レベルの党官僚(専従職員、アパラチキ)を務める。レオニード・ブレジネフ書記長時代の1970年9月、レニングラード州第一書記に選出され、主としてレニングラードにおける軍事産業育成に貢献があったとされる。1971年ソ連共産党中央委員会委員に、1973年ソ連共産党政治局員候補に選出され、1976年には政治局員に昇格する。 1978年、若手政治局員のフョードル・クラコフが急死した際には、高齢化が進む政治局員の中で「ブレジネフ後」の有力候補に成り得る存在として名前が挙げられるようになった。 1983年、新書記長に就任したユーリ・アンドロポフの目に留まり、同年6月に行われた中央委員会総会の人事でレニングラード州第一書記をはずれ、有力ポストとみなされていた党中央委員会書記(重工業・軍事工業担当)に引き立てられる。なお、この中央委員会総会前、同ポストにはウラジーミル・ドルギフ政治局員候補が就いていたが、ドルギフが人脈的にはチェルネンコ系(チェルネンコと同じシベリア出身)ということでロマノフがこの地位を得た。アンドロポフ政権の後期、ロマノフはアンドロポフの最側近の1人の見なされ、同書記長の諸改革を後押しした。
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