生い立ちと映画デビューまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 07:00 UTC 版)
「ジェームズ・キャグニー」の記事における「生い立ちと映画デビューまで」の解説
1899年、アイルランド系一家の次男としてニューヨークに生まれる。兄弟のうち2人は生後間もなく死亡し、キャグニー自身も幼少期は大変体が弱かった。 生活は貧しかったが「喧嘩っ早い父親としっかり者の母を中心に仲のいい幸せな家族であった」と後年キャグニー自身が回想している。コロンビア大学に入学したが、1918年に父がスペイン風邪のために死亡すると、彼は幼い弟妹を抱えた家計を助けるため、大学を中退しウェイターや図書館司書のアルバイトに勤しんだ。 当時から野球やボクシングに打ち込むスポーツ青年でもあった。特にボクシングでは、賞金が出る試合への出場を依頼されるなど、確かな腕をもっていたようである(ただし、この試合への出場は母の反対にあって断念した)。 その後、より高収入を得ようと芸人に転職。ヴォードヴィルやブロードウェイの舞台に出演していった。なお、彼の芸人としての初仕事は、『コーラスライン』の女性ダンサー役であった。1922年に所属していたヴォードヴィル一座の女優フランシス(愛称「ビル」)と結婚し、彼女と共に全米各地を巡業した。この時期には、同じく下積み生活をおくっていたケーリー・グラントとコンビを組んだこともある。 舞台『Sinner's Holiday』の主役に抜擢されたことから、俳優としての活動が本格的に始まった。この舞台がきっかけとなって、1930年に大手映画会社ワーナー・ブラザースに見出されて映画界入りし、同作の映画版で映画デビューをした。
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