生い立ちと柳川次郎との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/05 09:24 UTC 版)
「谷川康太郎」の記事における「生い立ちと柳川次郎との出会い」の解説
1928年大阪府大阪市東淀川区三国高須町に住む朝鮮人夫婦の子として生まれた。1940年頃、阪急電鉄豊中駅前でささいな喧嘩に巻き込まれた際、柳川次郎の助けを受ける。1945年6月、淀川堤防で大学生不良グループと喧嘩となり17歳にして懲役刑となり収監される。戦勝国待遇として程なく1946年5月仮釈放となった。が、極端に悪い獄中食のため、肋膜を冒されていた。兵庫県の尼崎病院に通う。病院の帰り闇市を徘徊するうちに柳川と再会し、常に行動を共にするようになった。1946年6月、闇市で悪徳商人を襲撃し強盗罪で柳川次郎と共に逮捕され、1948年懲役12年の判決を受け、四国の高松刑務所へ送られる。1956年10月、仮出所。
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