生い立ちと植民地行政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/26 14:53 UTC 版)
「ジョン・ファーンズ・ニコル」の記事における「生い立ちと植民地行政」の解説
ニコルは、1899年に生まれ、カーライル・グラマースクール(Carlisle Grammar School、後のトリニティ・スクール (カーライル)(英語版))からオックスフォード大学ペンブルック・カレッジ(英語版)に進んで、1921年に植民地官僚の道に進み、イギリス保護領北ボルネオに赴いた。 ニコルは1937年にイギリス王室領植民地だったトリニダード・トバゴの植民地副長官 (Deputy Colonial Secretary) となり、1944年から1949年にかけてはイギリス植民地であったフィジーの植民地長官となった。その在職中には、総督(英語版)の代行を1944年と1947年の2回にわたって務めた。次いで1949年には、香港の行政官である植民地長官 (Colonial Secretary of Hong Kong) に任じられた。 ニコルは、1952年にシンガポール総督となり、1954年の国民服務法暴動(英語版)の際にも当地に居合わせたが、その翌年には総督を退任した。在任中にはシンガポールの漸進的な自治拡大を進め、1955年にはリンデル委員会の自治拡大の勧告を通過させた。 ニコルは植民地行政の仕事から引退し、イギリスへ帰国した。 ニコルは、聖マイケル・聖ジョージ勲章を授与されナイトとなった。彼は、イギリスのパットニー・ヒース(英語版)にあったシオ・ハウス病院(英語版)で死去した。
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