生い立ちと戦時中までの経歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 08:08 UTC 版)
「中野喜介」の記事における「生い立ちと戦時中までの経歴」の解説
中野が有力な実業家として活動していた時期の紳士録『人事興信録』には、立川市出身とする記載がなされていたが、後には彼が朝鮮・忠清南道出身で、出生名を孫應棟といったことが明らかにされている。日本統治時代の朝鮮で育ち、日本語も朝鮮語も堪能であった。 『人事興信録』によれば、1925年に「神田工手学校」を卒業し、1931年に立川タクシーを設立したという。 昭和初年には、当時の配偶者の姓から杉山応と名乗り、タクシー2台を運行する杉山タクシーという事業をおこなっていたという。タクシー業は、1937年にガソリンの統制が始まる頃まで続けていた。その後、青梅の芸妓と結婚して川辺姓となり、川辺応棟とも称されるようになった。
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