生い立ちと形成期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 14:44 UTC 版)
「ジェラール・スゼー」の記事における「生い立ちと形成期」の解説
アンジェの音楽家の家庭に生まれる。両親の馴れ初めは、1902年にドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』の世界初演が行われた舞台であったという。スゼーの母親と2人の兄弟も声楽家であり、15歳上の姉ジュヌヴィエーヴ・トゥレーヌは、フランシス・プーランクの《Fiançailles pour rire》の初演を1942年に行なったソプラノ歌手だった。シノンのコレージュ・ラブレーに学んだ後、パリに上京してソルボンヌで哲学を修めるが、その間ピエール・ベルナックと出逢って声楽を学ぶように激励された。 1940年にパリ音楽院に入学して、クレール・クロワザとジャン=エミール・ヴァンニ=マルクーに師事する。テノールとして歌手活動を始めるが、1943年に主要なオペラ歌手アンリ・エシュヴェリーの助言を容れて、バリトンに転向した。パリ音楽院に在籍中は作曲も試みており、1942年にポール・ヴァレリーの詩に曲付けした3つの歌曲は、ベルナックによって上演されている。1945年に「歌曲賞」と「声楽家賞」の2つの第1等を得て、パリ音楽院を修了する。さらにベルナックの薫陶を得たものの、後にベルナックの発声法や、発音についての考え方に違和感を表明している。フランス音楽の枠に納まることを潔しとせず、ドイツ・リートを精密に研究するためロッテ・レーマンに師事した。
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